「ありのままで、やりたいを叶える」そのお手伝いをするのが僕のミッション。山田さん【CMT】

セラピストインタビュー

作業療法士の山田です。

病気はシャルコー・マリー・トゥース病(「Charcot-Marie-Tooth:CMT」)という、遺伝子が原因の末梢神経の病気です。

今、原因の遺伝子が80個ぐらい特定されているけど候補の遺伝子も合わせたらもっと実はあるって言われている病気です。

僕はミトコンドリアがちょっとうまく機能しなくなるタイプのシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)です。

80個ぐらい原因遺伝子があるって言っても、末梢神経が障害され手と足の麻痺が出てくることは共通の症状で、人によっては脳神経や呼吸器に障害が出てくる場合もある病気です。

目次

  • 病気について
  • 発症について
  • 診断について
  • 実習中の苦労
  • 障害学との出会い
  • 当事者達の居場所作り
  • 今後の展望
  • 山田さんの想い「ありのままで、やりたいを叶える」
  • 同病者へのメッセージ

病気について

シャルコー・マリー・トゥース病(CMT)は、治療法や治療薬もない病気です。 

Hereditary motor sensory neuropathy(HMSN)」と分類されることもあります。 

お医者さん達もよく知られてはいますが、あんまり関心を持ってもらえないのが現状です。 

2015年に、難病法が新しくできた時に特定疾患に入りました。 

厚生労働省発表の発表では患者総数が6250人位です(2022/10/20現在)。 

参考:https://www.nanbyou.or.jp/entry/3774(難病情報センター)

1万人以下の患者数のため希少難病です。 

患者会の代表として、厚生労働省とルールのやり取りや病気に関する陳情書(行政に関する意見や要望があるときに提出する書類)の提出をしたりしてます。

効果的な治療法がなく長期療養が必要な病気なので、医療や福祉に頼らず患者同士がピアサポートし合える場所として患者会を運営しています。

また、「治療法の研究開発」「適切な法や制度の整備」「より良い生活の確保」などを、患者会の代表として厚生労働省へ陳情する活動もしています。

 発症について

僕の場合、4才位の時に何かのきっかけで発病したようです。

初期症状で多い下垂足っていう足首が垂れ下がってしまう症状がでてました。

スリッパ履けない、つま先立ちできない、縄跳び飛べない、平地で転んでしまうことが多かったです。

小学校の時はシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)っていう診断がつかず、生まれつきの脳性麻痺の疑いがかけられました。

小学校低学年の頃から、手術を受けたりとか、リハビリを受けたりとか、装具を作ったりとかっていうのが日常です。

結局病気のことも治療方法も原因もわからなかったです。

生まれつきの病気、生まれつきなら仕方ないかなという気持ちと、生まれつきだけど何とかしてほしいなっていう気持ちのせめぎ合いでした。

リハビリに通っていましたが、良くはならないよとも言われました。

30歳ぐらいで車椅子かなってもう宣告されていたので、すごい卑屈な小学生だったと思います。

人生をもう傍観しているというか、「30歳までにいろんなことを終わらせて40歳ぐらいで死ねばいいか。」そんな行き過ぎた考え方をする小学生だった気がします。

診断について

確定診断がついたのがリハビリの学生のときでした。

19歳の時に筋肉の活動を見る表面筋電図の授業があって、神経内科の先生に「それはきっとシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)だよ」って急に授業中に指摘されました

それで紹介状書いてあげるよって言われて、同級生たちの前で診断されて結構ショックでした。

18年ぐらいかけて、自分のことをこう受け入れてきたのに、生まれつきか、障害者と健常者の間の中途半端な存在だなとか、そういうことを思って育ってきました。

それが、「はい、今までの18年の人生は嘘でございました」みたいに言われたわけです。

「これ生まれつきじゃありませんよ、進行性の遺伝子の病気ですよ」って、すごいアイデンティティの崩壊っていうか、18年かけてきたものを一瞬で否定された感じがでした。

すごいわかりやすく言うとちょっと鬱っぽくなったっていうか、「生まれつきだ」って思っていたのに「生まれつきじゃないよ」ってどういうことですか?

自分が知っている自分はなんだろう山田隆司は山田隆司ではないのか?っていう風になって「自分がなにものなのかを明らかに出来ない状態」を体験しました。

実習中の苦労

実習に出ても大変で、脳卒中の人とか小児の子供たちとかを評価できなかったんです。

作業療法士としての評価が患者の「駄目なことやできないところ探す」とか、「あなたこれができないんですよって突きつける」ように感じました。

幼少期から「できない事を目の当たりにするの嫌だなぁ」と思っていたことを伝えなきゃいけない仕事って僕はストレスだって思いました。

今考えると「これができないけど」、「これができますよね」っていうのが本当のリハビリなんです。

でも学生の時は、教科書どおりの手順で評価して「できない事探し」をしていました。

評価の先の提案まで考えられなかったです。

身体障害は僕自身が体験しているから「もう嫌だよね」「つらいよね」「こんなこと言われたくないよね」みたいに強く共感してバイアスがかかってしまうことがたくさんありました。

一方で、精神科の病気に関しては全然共感ができなかったのですごく客観的でした。

人の心の動きにはすごく関心があったのでこれは冷静になれる、これだったら仕事できるなと思って精神科の領域の作業療法士を目指した。

障害学との出会い

小さい頃からリハビリを受けてきて強く感じるのは、日本のリハビリテーションの現場が「機能を回復させる」「健康で元気になる」ことが最優先で、そのために「個人を変容させる」ことを選択する『障害の医学(医療)モデル』の思考が強いということです。

「生まれつきの身体なのにどうしてみんなと同じ身体を目指すの?」とか、「ルールや仕組みをちょっと工夫すればみんなと一緒に体育や遠足に参加できるのにな」とか。

「生きづらさの原因は自分の身体に障害があるせいなのか!?」「自分が努力して周りに合わせていかないといけないのか!?」と、ずっとモヤモヤしていました。

ある時、「障害学」に触れる機会がありました。

その中で、障害は「個人」ではなく「社会」の側にあるのだという『障害の社会モデル』の考え方を知ったのです。

「生きづらさの原因は自分の身体の障害のせいじゃなくて、社会や環境が作り出しているんだ!!」と、今までのモヤモヤが晴れていくことを感じました。

その後しばらくして、障害学や社会学を研究している作業療法士の研究対象に選んでもらえました。

自分の小さい頃からのネガティブな体験が研究の役に立つ。

その研究の成果が、当事者や支援者にとって有益なものになる。

「自分のように、障害がある当事者で作業療法士などの支援者をしている人たちは、どんな社会的な役割を担えるだろう?」、ひとつの興味関心が沸き上がるのを感じました。

そして『当事者セラピスト』という言葉を造語しました。

リハビリを受ける側(当事者)とリハビリをする側(セラピスト)の2つの視座を持つ存在です。

  • どんな役割があるだろう?
  • 何か活かせることはないか?
  • 特徴はあるだろうか?

これらの疑問を解決したくなって、34歳の時に大学にもう1回入りなおしました。

障害学を研究するグループに入ったり、当事者セラピストに関する研究にもかかわるようになっていきました。

当事者達の居場所作り

19歳の診断の直後にインターネットコミュニティを作りました。

理由としては、

  • インターネットでシャルコー・マリー・トゥース病(MCT)の情報が少なかった。
  • お医者さんすら知らなかった。
  • 他の当事者に会えなかった

っていうこの3つですよ。

僕、すごく孤独だったし、患者いないから、インターネット上で呼びかけちゃえってというのがきっかけです。

8年位いろんな準備をして、やっと立ち上がったって感じです。

シャルコー・マリー・トゥース病の研究班と同時設立みたいな感じでした。

集まれば集まるほど情報が得られるし、研究班は研究費を厚労省からもらいたいから患者会の情報が必要だったし、当時は珍しいwin-winの患者会でしした。

全国的にもシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)の患者会がなかったので結構注目されました。
「シャルコー・マリー・トゥース病の当事者で作業療法士の若いのがおるぞ」みたいな感じで研究とかロボットスーツの開発に呼ばれたり、あとは作業療法士として学会発表する前に患者として学会発表しました。

患者会の活動ってどんなことをするんですか?

メインは交流と情報交換です。

必要があれば国に対してのアクションをとる。

当初から「ロビー活動とか、署名活動はうちはやらない。とにかく交流をメインにする」って言ってインターネットで始めました。

今会員が300人くらいです。6500人中の300人位だから、結構、組織率としては良いと思います。

今後の展望

今後やりたいことってありますか?

僕、キャンプ場を作りたいですよね。「ユニバーサルでバリチョイのキャンプ場のオーナーになりたい」が僕の夢です。

「バリチョイ」ってなんですか?

僕の造語ですけど、「バリアフリー」は浸透しています。

また、リハビリの業界では「バリアアリー」って言葉もあります。

バリアを残そうって意味です。

僕の「バリチョイ」は、ちょいと残そうってことです

ただバリアがあるのではなくて、バリアがちょっとある。

このちょっとあるバリアも、その作戦というか意図があって、あえて残しているバリアなんです。

このバリチョイには、いろんな意味付けがあって、

①バリアはあえてチョイと残している状況。

②どんな解決方法をチョイスしましょうか。

③解決出来たらこんなのちょちょいのチョイだね

っていう意味があります。

バリアフリーを目指すとバリアがない生活で、逆に身体機能が落ちます。

バリアアリーって言ってわざと階段を残すことで、機能を落とさないっていう、リハビリをしているデイサービスありますが、バリチョイは、何がやりたい、どうしたい、どこの障害をどういうふうに料理したいみたいに、本人の主体性を大事にしています。

この言葉のいいところは子供に入りやすいところです。

車椅子の子たちは、「何かキャンプ場でバリチョイだから、でこぼこタイヤが滑るんだよね」とか。「うちのお父さん全然火が着けられない。それもバリチョイだよね」とか。

実際に車椅子の子たちと一緒にキャンプしたりしています。

僕もキャンプ場へ車椅子で行くことがあります。

自然の中のバリアってさ、ちょっと楽しめちゃうじゃん?だから自分たちが街中で感じてるバリアも楽しめないかな?みたいな意識って大切です。

自然の中だったらデコボコなんてむしろ全然バリアじゃなくない?おもしろくない?みたいな発想の当事者は結構います。

コロナが始まるまでは、バリチョイキャンプは年に1、2回はやっています。

シャルコー・マリー・トゥース病(CMT)の患者家族と一緒にキャンプに行って、バリチョイ楽しんじゃおうみたいなのも、これも1年に1回から2回ぐらい、コロナ前まではずっとやっていて看護学生さんとかが参加してくれていました。 

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山田さんの思い「ありのままで、やりたいを叶える」

別にお金がほしいと思っていないので事業としてやらないようにしています。

僕が15年前位に言っていたことを最近は他で実現してくれる人がいて、他でやってくれるなら別に僕がやらなくてもいいし、手柄ほしいってわけでもないので乗っかればいいかなって位のスタンスで考えています。

障害者と言われている人たちのそのネガティブなところはもちろん大切に受け止めなくてはいけないんだけど、それよりも何かポジティブなエネルギーを持っている人たちをきちんと大切に考えていきたいなっていうのが僕のコンセプトで僕のミッションだと思っています。

社会モデルの話を先ほどしましたが、個人の抱える障害がリハビリとかで変われる人と変われない人がいますよ。

生まれつきの麻痺がある子どもや難病の患者さんたちにとって機能回復を強く求めることは難しいし、僕も進行性の病気で全然元通りにはならないんだけど、そういう状態でもやりたいが叶えられるってもうすごく最強じゃないだと思ってます。

だから「ありのままで、やりたいを叶える」って大事なことだと思っています。

リハビリの機能回復の仕事も好きだけど、機能回復しなくてもやりたいことができるっていうのが僕の理想なのでそのためには何でもやろうかなって思っています。

同病者へのメッセージ

自分の体験が誰かにとってもすごく大切な情報になることがきっとあるので、今はしんどいかもしれないけど自分の体験を誰かに伝えてほしいなと思います。

自分の体験が誰かのためになる、誰かの体験が自分のためになるっていうことを意識してもらえると「ちょっと生きやすくなるかもしれないな」って思います。

「ピアサポート」が大切なんだと感じます。

CMT病はなかなか治療法が確立しないしリハビリもエビデンスが乏しいし、社会制度からも漏れがちで認知度も低い病気です。

それでも確実に治療研究は進んでいるしエビデンスも集まってきている。

なにより、支援者と当事者たちが協働して、「生きづらさを解消しよう」「より良い生活ができるようにしよう」と前に進んでいます。

あわてず、あせらず、あきらめず・・・情報を集め、繋がっていきましょう。

山田さんのちょっと自慢話を!

最後に一個自慢していいですか?「パーフェクトワールド」って漫画ご存じですか?

映画版は岩田剛典さんが主演で、テレビ版は松坂桃李さんが主演なんですけど、原作マンガの取材協力しているんですよね。

障害者の恋愛の話だったので山田さんが若い頃の恋愛の話とか結婚の話、教えてくださいということで、あの漫画の中に僕の結婚のエピソードとかがちょいちょい入ってるらしいんです。

DVD買います!今日はありがとうございました。