新たな一歩。YUKAさん【感音性難聴】

聴覚障害

聴覚障害と生きながら、自身の経験を基に作業療法士を目指すYUKAさん。自身の経験や、将来の夢について取材しました。

もくじ

  • 自己紹介
  • 発症当時について
  • 障害に対する不安・考えること
  • 作業療法士を目指したきっかけ
  • 最後に伝えたいこと

自己紹介

初めまして、YUKAです!私は両側性感音難聴持ちの当事者です。生まれつき両耳が聞こえません。

介護士という経験を経て、今年の春から作業療法士の養成校に入学し作業療法士を目指します!

発症当時について

難聴が分かった時のことを教えてください

難聴が発覚したきっかけは、他の子よりも歩き始めが遅く、発達が気になると病院に行ったことでした。1歳6か月のことです。聴覚検査を行い、感音性難聴(音の情報が電気信号に変わって脳に伝わるまでに何らかの問題があって起こる難聴)と診断されました。

内耳奇形(先天的に生じる蝸牛や三半規管などの内耳の奇形のこと)の原因でした。内耳奇形は補聴器の効果が乏しいといわれています。親は少しでも音を聴かせてあげたいと、2歳の時に右耳に人工内耳(音を電気信号に変えて聴神経に伝える人工臓器)を埋め込む手術を受けました。

私が小学生まで両耳人工内耳は認めていませんでした。(当時、人工内耳装用の両側の適応は推奨されていなかった)そのため20年間、片耳だけ人工内耳を装用して過ごしていました。昨年の7月にもう片方の耳に人工内耳を装用する手術を受け、今は両耳に装用しています。

YUKAさんが装用する人工内耳

障害に対する不安・考えること

聴覚障害で困ることについて

人工内耳を装用しているからか、周りの方から「聞こえるよね?」と誤解が多く、高齢者と同じように耳元で話し掛けられることです。

感音性難聴の場合、一つ一つの音を聞き分けることは可能ですが、言葉として脳で認識することが難しいです。上手く聞き取れない場合もあります。人工内耳を装用しているから聞こえるだろうと、聴者にとって理解しづらいものだと思います。

当事者のことは当事者が伝えていくしかないです。

周囲からの言葉で嬉しいと感じたこと

特別扱いせずに同じように接してくれたことです。

健常の方も得意なところ・苦手なところがあるので平等かと思います。私が苦手とする電話対応などは配慮していただき、得意な非言語的なコミュニケーションは積極的に行うようにしました。目で利用者さんの行動や顔の表情を観察し気づいたことを、申し送りや介護の記録をしていました。私は目線や表情を読み取ることが得意だったのか、「観察力が鋭いね。」と言われることも多かったです。

出来ないじゃなくて、何か工夫すれば出来る。困っていることを社会の中で素直に伝える。

自分が出来ることを行い、自分だけではなくお互いに環境を作っていくことは大事かなと思います。

人生の変化について

私の人生が大きく変わったのは介護の分野に携わるようになってからです。

これまで学生時代、大人達から「無理」と決めつけられることが多く、聴者に耳のことを伝えるのは苦手でした。挫折や失敗を何度も繰り返していました。 高校卒業後、介護の仕事に就き、18年間生きてきた中で、初めて尊敬したいと思う上司に出会いました。

「無理という言葉はない。出来るから、まずやってみなさい!」

その一言が響いて、チャレンジ精神に変わりました。 3年目になった時、利用者や利用者の家族の方から「いつも報告してくれてありがとう」「あんたがいい」など感謝の言葉をいただくようになりました。

聞こえないからではない。聞こえなくても介護の仕事は出来る。

耳の代わりに目で見る観察力を武器にすれば、介護の仕事は出来ると自信が持てるようになりました。好きだった職場は退職してしまいましたが、介護福祉士の資格取得し、人間としても成長していると思います。

人生の転機の場所なので、今も心の支えになっています!

作業療法士を目指した理由

国家試験の1ヶ月前の仕事帰りに交通事故に遭いました。その後、リハビリを受けた時に「僕も介護福祉士から作業療法士になった」という話を聞いて、介護からリハビリの道に進む選択肢があると知りました。

当時は介護の仕事にやりがいを感じていました。介護の仕事に復職することを目指していたのですが、 痛みや痺れの後遺症が残り、介護福祉士として復職は出来ず、大好きな職場も辞めることになりました。やはり、目の前で人を支える仕事に戻りたい気持ちは諦めることが出来ませんでしたね。挫折や失敗を何度も繰り返し、「やっと夢の第一歩に踏み出せた」と思い、悔しかったです。

いつか復職出来ると信じ、国家試験後、左耳の人工内耳の手術を受けました。初めて人工内耳で音を聞き、希望が見えた時のように「作業療法士に目指そう!」と決意しました。

作業療法士は将来的にも仕事の選択肢が広く、心のリハビリが出来ます。介護福祉士から作業療法士になることを決意し、今年の4月から専門学校に通います!

今後の目標

誰かに希望や勇気を与えられるようにいろいろな人と繋がりたいです。
 

これまで声と併せて口の形を読み取ってきたのですが、今はマスクの時代なので難しいです。コロナが落ち着けば良いのですが、患者さんとどのようにコミュニケーションしていくか?と、試行錯誤しながら実習を乗り越えたいです。3年後、作業療法士の国家試験を受けられるように頑張ります!

理想のセラピスト像があれば教えてください

医療や福祉の視点が持てる作業療法士になって、患者さんや利用者さんの可能性を広げるリハビリを提供したいです。社会や地域に参加が出来るよう、ひとりひとりの気持ちを寄り添って、誰かの人生を支援したいと考えています。

最後に伝えたいこと

介護士としてケアをしている立場だったので、怪我をして、逆の立場になって感じることもたくさんありました。

怪我をして不安に感じることもありましたね。その時に主治医や看護師、リハビリスタッフなど医療従事者からの声掛けで笑顔になることが出きて、安心材料になると感じました。寄り添ってくれた医療従事者の方々には感謝しています。

怪我や病気を受け入れるのは難しいことだと思います。自分の気持ちを素直に言える場所は病院しかないと思うので、障害受容の過程に合わせて、寄り添っていくことは大事だと考えています。

取材を受けて頂き、ありがとうございました!素敵な作業療法士になってください!応援してます!

こちらこそ、素敵な機会をありがとうございました。頑張ります!