「〇〇だから」とふさぎ込まずに社会のために今できることを。日高和泰【重症筋無力症(MG)】

重症筋無力症

今回は40歳で重症筋無力症(MG)を発症。要介護者のより良い生活を考える作業療法士の日高和泰さんを取材させて頂きました。

もくじ

  • 自己紹介
  • 重症筋無力症とは
  • 病気についておきかせください
  • 作業療法士になったきっかけ
  • 今後の目標
  • 最後に

自己紹介

こんにちは日高和泰と申します。札幌の病院で作業療法士として働かせてもらっています。

作業療法士の前は、劇団を立ち上げ、劇団の運営と芝居をやっていました。その他にも、テレビ・ラジオ・マネージャー業・ナレーションのお仕事など幅広い分野で活躍させていただいていました。
 2022年の5月に重症筋無力症を発症し、現在は作業療法士の仕事は休職中になります。(2022/11/26現在)

重症筋無力症とは

全身の筋力低下、易疲労性を認めますが、特に眼瞼下垂や複視といった眼症状を生じやすい特徴があります。その他、重症例では、嚥下障害(飲み込みにくさ)や呼吸困難を呈してくる例もあります。
これらの症状は、とくに運動後や夕方などの時間に悪化することがあります。
神経から筋へ刺激を伝えるアセチルコリンという物質が分解されるのを抑え、筋でのアセチルコリン濃度を高める薬剤や、ステロイド、免疫抑制剤などの治療により、症状を改善することができる疾患です。

引用元
NCNP病院 国立精神・神経医療研究センター:https://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/disease31.html

病気についておきかせください

初期症状は瞼の違和感

初期症状は5月に右目の瞼が下がったんです。前の週か忙しくて疲れてるのかなと思ってました。

これなら別に気にしなかったんですけど無意識のうちに左右の瞼が違っていたんです

それに妻が気づいて鏡を見たときに眉毛の位置が全然違っていてちょっとヤベーなと思いました。

誤診で手術

最初に眼瞼下垂かなと思って形成外科に行きました。

最初の診断では眼瞼下垂と受けて手術することになったのですが手術中に眼瞼下垂の所見ではないと手術が中止になりました。

執刀してくれた理事長に脳神経科の紹介状を受けて、そこの病院で血液検査とか諸々して重症筋無力症と判断されました。

診断された時の心情

父親が重症筋無力症で手術もして胸腺を切っていることを知っていました。

なので重症筋無力症は割と身近な病気でした。

自分でもあたりを付けた部分があり診断されたときは「そっか」と意外と落ち着いた感じでした。

作業療法士になったきっかけ

紆余曲折あり、28才で劇団を辞める決断をしました。

今後どうしていこうと迷いました。

もともと、独立したいという思いがあったため、自分の中では行政書士か作業療法士の2択で考えていました。

作業療法士だった当時の彼女

劇団時代に付き合っていた当時の彼女が精神科の作業療法士でした。

その彼女が、劇団の稽古の風景をみて。「仕事で使える!」と劇団のプログラムを全部メモしていたんです。

まさかでしたが、劇団と作業療法士ってつながるところがあるんだなと思いました。

悩みましたが、今の奥さんとの出会いなんかを考えたとき、やっぱり成功体験がある作業療法士として頑張ろうと決断しました。

でも、読んでいた本が海外の作業療法士の本で、学校入って2年目に「日本では作業療法士に開業権がない」ってことに気づきました(笑)

入学するのに一苦労

元々の高校からではランクが足りなくて直で専門学校に入れず社会人枠で入りました。

推薦とかなく一般入試だったので中学校3年生の理科から半年ぐらいかけて勉強し直しました。

入ってからまた苦労

専門学校では社会人というだけでそういう目で見られるんです。実習中とか大学生なら怒られないことですごく怒られたのでなまらつらかったです。

いや、俺、医療系はまだ初心者なんですって言いたかったけど言えずにひたすら「すいません」って言っていました。

今後の目標

障害が発症しなかったら

病気になる前は2年から1年半くらい後に、会社を辞めて訪問介護の施設を作る予定でした。

生活を助けてあげる人が医療の観点を持っていれば、医療的ケアとか医療的処置とか生活の質の部分のお手伝いができるのかなと思ってその準備をしていました。

重症筋無力症の認知を向上させたい

重症筋無力症は誤診が多く、調べた中では体が怠いと症状を訴えた10代の少女が内科の先生に精神的なものじゃないかと診断されていました。

ですが重症筋無力症は、精神系の薬とめちゃくちゃ相性が悪いので、ひどい時は呼吸が止まったりするんです。

そういった誤診がなくなるように重症筋無力症の認知を向上させ、適切な検査が行われるようにしたいです。

最後に

活動でギリギリの僕らが社会参加するにはどうしたらいいのだろうっていうのは、やっぱ考えていかないといけない部分なのかなと思っています。

病気になったから家に引っ込まなくちゃいけないのはそうなのですが、それだけで終わる人生はつまらない。

できることが限られる中で限られる選択肢を増やすお手伝いがどっかでできればいいのかなあとは思っています。

 

今回は、取材を受けて頂きありがとうございました!
様々な経験されており、知らない事を沢山知れた時間でした。
今後とも宜しくお願いいたします!

 

こちらこそ、ありがとうございます。これからどう生きていこうかと考えてる僕にとって、今回の対談はとても刺激的でした。病気のために生きるんじゃなくて、病気と共に生き抜いてやりますよ!
りきやさんに負けないよう頑張ります!やるぞー!