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テクノロジーが支える障害者雇用の未来とは?
近年、障害者雇用に関する取り組みが進んでいるものの、多くの場合、アナログな手法に頼っていることが一般的です。例えば、障害者向けの職業訓練や就労支援は、従来の方法を用いて提供されることが多く、職場においても情報やコミュニケーションのアクセシビリティが十分でない場合があります。
目次
- テクノロジーの進化で見える雇用市場の変化
- 新しい職業の登場と障害者雇用
- さいごに
テクノロジーの進化で見える雇用市場の変化
しかし、テクノロジーの進化により、障害者雇用においても大きな変化が起こりつつあります。
AI、機械学習、IoT、ロボティクスなどの技術が発展し、障害者にとって働く上での障壁を減らす機会が増えています。
例えば、聴覚障害者にとっては、スマートフォンアプリやウェアラブルデバイスを用いた音声認識や文字変換技術が、コミュニケーションを容易にします。
視覚障害者に対しては、画像認識や音声合成技術を利用した読み上げソフトウェアが情報アクセスを助けます。
代表例であるオリィ
オリィ(Ory Lab. Inc.)は、日本のテクノロジースタートアップ企業で、障害者雇用に焦点を当てた取り組みを行っています。オリィは、2012年に設立され、障害者を支援するためのロボティクス技術の開発と提供を行っています。
同社の代表的な製品である「OriHime」は、遠隔操作が可能なロボットです。OriHimeは、身体障害者や寝たきりの状態にある人々が、遠隔地からロボットを操作し、働くことができるように開発されています。OriHimeを利用することで、障害者は自宅や病院から離れずに、リモートで様々な仕事に従事できるようになります。
また、オリィは、障害者向けにカフェやイベントスペース「オリィカフェ」を運営しており、OriHimeを利用した遠隔バリスタや接客業務を行っています。オリィカフェでは、障害者が安心して働ける環境を提供することを目指しており、ロボット技術を活用して、障害者の働く機会を増やす取り組みが評価されています。
オリィのような企業がテクノロジーを活用して障害者雇用の取り組みを行うことで、障害者が働く障壁が低減され、より多くの障害者が社会参加できるようになります。今後も、オリィのような企業が障害者雇用を支える技術やサービスを開発し、障害者が活躍できる社会を実現していくことが期待されます。
新しい職業の登場と障害者雇用
テクノロジーの発展によって、障害者にも新しい職業の機会が増えています。
例えば、プログラミングやデータ分析などのIT関連の仕事では、視覚や聴覚の障害があっても十分に活躍できる環境が整いつつあります。
また、リモートワークやテレワークが一般化することで、障害者が自宅や好きな場所で働くことが可能になり、職場の選択肢が広がっています。
さらに、VR技術を活用した職業訓練プログラムも登場し、障害者が効果的にスキルを習得できるようになっています。
これにより、障害者が従来の職業訓練では得られなかった
経験や知識を身につけることが可能になり、より多様な職種で活躍するチャンスが広がっています。
また、障害者が特定の技能を持つことで、企業のニーズに応えられるようになり、雇用機会が増えることも期待できます。例えば、ウェブアクセシビリティの専門家や、障害者向け製品開発のコンサルタントなど、障害者の経験や視点が求められる職種が増えています。
さいごに
テクノロジーの進化によって、障害者雇用の未来は大きく変わりつつあります。
新しい職業の登場や働き方の多様化、障害者にとって有益な技術の普及が、これまでの障害者雇用のアナログな現状を変えることが期待されます。
企業や政府も、障害者の働く機会を増やすために、テクノロジーを活用した取り組みを進めるべきです。
今後は、障害者が働く上での障壁を取り除くだけでなく、障害者自身が持つ独自の視点や経験を活かすことが重要となります。
障害者が多様な職種で活躍できる社会を実現するためには、企業や政府、そして障害者自身が協力し、テクノロジーを最大限に活用していくことが求められます。
テクノロジーが支える障害者雇用の未来は、社会全体が取り組むべき課題であり、より多くの障害者が働ける社会の実現に向けて、今後もさらなる進化が期待されます。
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障害者雇用における、会社のリーダーの役割とは?
障害者雇用において、会社のリーダーが果たす役割は非常に重要です。本記事では、障害者雇用制度について説明し、企業が障害者を雇用するメリットや注意点を解説します。さらに、障害者を見る際の視点や態度について提案し、会社のリーダーが障害者雇用を推進するためにできることを提案します。
目次
- 障害者雇用制度について
- 企業が障害者を雇用するメリットとは
- 障害者を雇用する上での注意点
- 見るべきは障害ではなくその人の本質
- さいごに
障害者雇用制度について
多くの国では、障害者雇用の促進を目的とした制度が整備されています。
日本では、障害者雇用促進法に基づき、一定規模以上の事業主が法定雇用率に達するように障害者を雇用することが求められています。
また、障害者雇用の促進に向けた各種の支援制度や助成金も用意されており、企業が障害者を雇用しやすい環境が整備されています。
企業が障害者を雇用するメリットとは
企業が障害者を雇用することには、いくつかメリットがあります。
1つ目は、助成金や税制優遇の活用ができることです。
上述の制度があるように、障害者を雇用することで、企業は助成金や税制優遇を受けることができ、経済的なメリットがあります。
また、CSRの観点もはずせないでしょう。
近年CSRの向上のため、SDGsを含む会社の取り組みは活発になってきています。
障害者雇用もその一つで、積極的に行うことで、企業の社会貢献や多様性をアピールでき、企業イメージの向上につながります。
ここからは、制度やイメージの問題ではなく、障害者の持つ個性が生きる例になります。
障害者は独自の視点や経験を持っており、企業に新しいアイデアや解決策をもたらす可能性が非常に高いというメリットを持っています。
障害を持って生活してきた人生での視点は、決して一般の社員が持たない考えや思考力を発揮します。
そして、そのような社員の増加は、会社全体の意識改革へと繋がります。
障害者と共に働くことで、従業員の意識や態度が変わり、チームワークやコミュニケーション能力が向上することが期待できます。
障害者を雇用する上での注意点
障害者を雇用する上での注意点として、以下の点に留意することが重要です。
個々の障害に応じたサポート:障害の種類や程度によって、必要なサポートや配慮が異なります。従業員一人ひとりのニーズを理解し、適切な支援を提供することが大切です。
職場環境の整備:職場環境を障害者にとって働きやすいものに整備することが重要です。これには、バリアフリーの設備や通信支援ツールの導入などが含まれます。
コミュニケーションの確保:障害者と他の従業員との円滑なコミュニケーションを確保することが大切です。これには、定期的なミーティングや個別のフォローアップなどが役立ちます。
研修や教育の提供:障害者に対しても、他の従業員と同様に研修や教育の機会を提供し、スキルアップやキャリアアップをサポートすることが重要です。
見るべきは障害ではなくその人の本質
障害者を雇用する際には、障害に焦点を当てるのではなく、その人の本質や能力に注目することが大切です。
障害者にも様々な才能やスキルがあり、障害があっても十分に活躍できることを理解しましょう。
また、障害者が持つ困難を乗り越える力や柔軟性は、企業にとって大きな強みとなります。
さいごに
会社のリーダーとして、障害者雇用を推進し、職場の多様性を高めることは重要な役割です。障害者の能力を最大限に活かすことができれば、企業全体の競争力やイノベーションが向上し、より強い組織が築かれます。
リーダーは、障害者雇用に対する理解を深め、職場環境の整備やコミュニケーションの確保、教育の提供などを通じて、障害者が安心して働ける環境を作り上げることが求められます。
また、従業員全員が障害者の同僚と協力し、互いに学びあい、支え合うことで、企業全体が成長していくことが期待できます。
障害者雇用は、単に法的な義務を果たすだけでなく、企業にとって新たな価値や可能性を生み出す機会です。リーダーは、障害者の能力や貢献を評価し、全従業員が共に働くことの意義や価値を共有することが重要です。
これにより、企業は多様性を受け入れ、より強い組織を築くことができるでしょう。
最後に、障害者雇用に取り組むことで、社会全体がより包括的で公平なものになります。会社のリーダーとして、障害者雇用の推進に努め、社会貢献を実現しましょう。
そして、障害者が活躍できる社会を築くことで、誰もが自分の才能を発揮し、共に成長していける未来を実現していきましょう。
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障害者が自身で仕事のチャンスをつかむ自己アピール術とは?
障害者の労働市場での賃金格差問題が注目される中、障害者自身がチャンスをつかむための方法も重要です。本記事では、障害者の機会損失、日本および世界での平均年収、自己アピールの方法、障害者だからこそつかめるチャンスについて解説します。
目次
- 障害者の機会損失とは?
- 障害者の日本での平均年収・世界での平均年収
- 障害者はどう自己アピールすればよい?
- 履歴書・職務経歴書の工夫
- 面接でのアピール
- ネットワーキング活動
- 障害者だからこそつかめるチャンスもある
障害者の機会損失とは?
障害者が直面する機会損失とは、障害のある人が教育や職業選択、キャリアアップの機会を得ることが難しいという問題です。これは、障害者に対する偏見や差別、アクセシビリティの不備、教育や訓練機会の不足などが原因となっています。機会損失は、障害者が自己実現や経済的な成功を達成することを妨げるだけでなく、社会全体の成長や発展にも影響を与えます。
障害者の日本での平均年収・世界での平均年収
日本では、障害者の平均年収は健常者に比べて低いとされています。これは、障害者が就労する業種や職種が限定され、賃金が低い傾向にあることが一因です。また、障害者に対する企業の賃金設定が低くなることも影響しています。
世界的にも、障害者の平均年収は健常者に比べて低いとされています。しかし、国や地域によっては、障害者の権利や働く機会に対する取り組みが積極的に行われており、賃金格差が縮小しているケースもあります。
障害者はどう自己アピールすればよい?
障害者が自己アピールを行う際には、以下の具体的なステップを踏むことが効果的です。
履歴書・職務経歴書の工夫
履歴書や職務経歴書には、自分のスキルや経験、成果を具体的に記載しましょう。また、障害者であることを明記することで、企業に対して適切な配慮ができるよう伝えることが大切です。
面接でのアピール
面接では、自分の強みやスキル、これまでの成果を具体的に説明しましょう。また、コミュニケーション能力をアピールするために、相手との目線や身振り手振りを使ったコミュニケーションを心掛けましょう。
ネットワーキング活動
障害者向けの求人情報やイベントに参加することで、企業とのつながりを築くことができます。また、SNSやオンラインフォーラムを活用して、他の障害者と交流し、情報交換を行いましょう。
これらを踏まえた上で、障害者ならではのアピールが大切になってきます。
1つ目は自分の強みやスキルを明確にすること。
障害者であることを前提に、自分が持つスキルや経験、知識を明確にしましょう。これらをアピールすることで、障害を理由に採用や昇進が見送られることを防ぐことができます。
続いて、コミュニケーション能力を高めることです。
コミュニケーション能力は、職場での人間関係や業務遂行において重要です。
障害者であっても、他のメンバーと円滑なコミュニケーションができることをアピールすることで、企業が障害者を採用しやすくなります。
障害者だからこそ、その人にあったコミュニケーションも存在するでしょう。
また、学び続ける意欲を見せることも重要です。
新しい技術や知識を学ぶ意欲があることをアピールすることで、企業はその人物が価値ある人材であると認識します。
障害をもっていることを盾に学習がストップするようであれば、企業も価値を見出しにくくなります。
最後に、成果を具体的に示すことです。
過去の実績や成果を具体的に示すことで、企業はその人物が職務遂行能力があると判断しやすくなります。
障害者だからこそつかめるチャンスもある
障害者であることが、逆に独自の強みとなる場合もあります。以下の点が、障害者だからこそつかめるチャンスです。
ダイバーシティ&インクルージョンの推進:企業がダイバーシティ&インクルージョンを重視する場合、障害者を積極的に採用する傾向があります。障害者であることをアピールし、企業のダイバーシティ&インクルージョンの取り組みに貢献できることをアピールしましょう。
ユニークな視点やアイデアの提供:障害者は、他の人とは異なる視点やアイデアを持っていることがあります。その独自の視点を活かし、企業やプロジェクトに新たな価値をもたらすことができるとアピールしましょう。
さいごに
障害者が賃金向上を目指すためには、自己アピールが重要です。
自分の強みやスキルを明確にし、コミュニケーション能力や学び続ける意欲を見せることが大切です。
また、障害者だからこそつかめるチャンスを活かし、企業やプロジェクトに独自の価値を提供することをアピールしましょう。これらの方法を通じて、障害者は賃金向上を目指すことができます。
賃金格差の解消は、社会全体での取り組みが必要ですが、障害者自身が積極的にチャンスをつかむことも重要です。
障害者が自己アピールを行い、その能力を最大限に発揮することで、賃金格差の解消に向けた一歩を踏み出すことができます。
障害者も健常者と同様に、自分の力で成功をつかみ取り、公平な賃金と働く機会を享受できる社会を目指して、これからも努力を続けましょう。
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障害者雇用における賃金格差の背景!理由と課題とは?
障害者の雇用が近年ますます注目されている一方で、賃金格差の問題が依然として存在しています。このような賃金格差の問題は、長年にわたり様々な国や地域で問題となっています。本記事では、障害者と一般の方の賃金格差の実情、その背後にある課題や解決策、そして今後どのように格差をなくすべきかについて検討します。
目次
- 障がい者と一般の方の賃金格差の実情
- 課題と解決策
- 今後格差をなくすには
障がい者と一般の方の賃金格差の実情
障害者の労働市場における賃金格差は、多くの国で顕著な問題となっています。一般的に、障害者は一般の労働者に比べて平均賃金が低く、雇用率も低いとされています。この格差は、障害者の社会的地位や生活水準に悪影響を与えています。
賃金格差の原因は複数ありますが、以下の点が主要な要因として挙げられます。
教育・訓練の機会格差
障害者は一般の労働者に比べて教育や訓練の機会が限られているため、専門技能や資格を持つことが難しく、賃金が低くなりがちです。
職業選択の制約
障害者は健常者に比べて職業の選択肢が限られ、低賃金の仕事に就くことが多いです。
障害者差別
企業の中には、障害者を採用する際に賃金を低く設定することでコストを抑えようとする場合があります。
日本では、障害者年金の取得を考慮し、取得可能な年収を超えないように、賃金を低く設定する文化が根付いているとも言えます。
課題と解決策
賃金格差の解消に向けて、以下の課題と解決策が考えられます。
教育・訓練機会の拡大
障害者に対しても一般の労働者と同様の教育・訓練機会を提供することで、賃金格差を縮小することが期待できます。政府や企業は、障害者向けの教育プログラムや訓練制度を充実させることが重要です。
職業選択肢の拡大
障害者の職業選択肢を広げるためには、職場環境の改善やアクセシビリティの向上が必要です。企業は、障害者が働きやすい職場環境を整備することで、より多様な職種への就労が可能となります。
法律や政策の整備
障害者の賃金格差を解消するためには、法律や政策による規制が必要です。政府は、障害者の賃金水準に対する最低賃金制度の適用や、企業に対する障害者雇用の義務付けなど、賃金格差を縮小するための法律や政策を整備するべきです。
障害者差別の撤廃
障害者への差別意識をなくすためには、企業や社会全体での意識改革が求められます。障害者雇用に関する啓発活動や、障害者の能力を評価する公平な評価制度の導入が、障害者差別の撤廃につながります。
今後格差をなくすには
賃金格差をなくすためには、以下の取り組みが重要となります。
1.社会全体での意識改革:障害者雇用の重要性を理解し、障害者の能力を正当に評価する意識改革が必要です。企業や個人が、障害者の能力を最大限発揮できる環境を整えることが、賃金格差の解消につながります。
2.政府のリーダーシップ:政府は、障害者雇用に関する法律や政策の整備、およびその適切な実施・監視を通じて、賃金格差の縮小に向けた取り組みをリードするべきです。
3.企業の積極的な取り組み:企業は、障害者の能力を活かした雇用を促進し、職場環境や評価制度の改善に取り組むことで、賃金格差の解消に貢献できます。また、障害者のキャリア支援や昇進機会の提供も重要です。
4.NPOや市民団体の活動:NPOや市民団体が障害者雇用に関する啓発活動や支援を行うことで、社会全体の意識改革や企業の取り組みが促進されます。
私達、一般社団法人の活動もここに入るでしょう。
5.国際協力:各国が障害者雇用に関するノウハウや成功事例を共有し、国際協力を通じて賃金格差の解消に取り組むことが求められます。
まとめ
障害者雇用における賃金格差は、教育・訓練の機会格差や職業選択の制約、障害者差別などが原因として存在しています。これらの問題を解決するためには、教育・訓練機会の拡大や職業選択肢の拡大、法律や政策の整備、障害者差別の撤廃が必要です。
今後、社会全体での意識改革や政府のリーダーシップ、企業の積極的な取り組み、NPOや市民団体の活動、国際協力が賃金格差の解消に向けての鍵となります。障害者も一般の労働者と同様に、公平な賃金と働く機会を享受できる社会の実現を目指し、引き続き取り組みを進めていくことが重要です。
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明日生きてるか分からないから、今を全力で楽しむ。タニミキさん【脊椎損傷】
中学2年生で脊髄損傷による車いすユーザーに。”全力で今を楽しむ”をモットーに世界各国を旅しているタニミキさんを取材させていただきました。
もくじ
- 発症当時について
- 就職
- 海外へ
- AOIの運営
- 今後の目標
自己紹介
こんにちは、タニミキです。
中学2年生の時に屋上から転落し、脊髄損傷で車いすユーザーになりました。
海外を旅したり、AOIの運営に携わったりしています。よろしくお願いします。
発症当時について
屋上から落下
時期は中学2年生の夏休みです。
高校の見学会があり、その時の私の身なりがあまりにも悪くその件で中学校の担任の先生と口喧嘩になりました。
その後に気持ちを落ち着かせようと屋上のフェンスの外側で座って休憩してたんです。
そうしたら下が騒がしくなってきて。なんだろうと思い見たら、パトカーや救急車がいました。
そのあと先生が後ろから来て、”早まるな”と言ってきて。私が自殺すると勘違いされていたんです。
大騒ぎになっているのに、そこで引き返すのはダサいと、思春期ながらに思いました。
このまま戻れないなら、もう空気読んで落ちるしかないと思って、ぴょんとジャンプして落ちました。
落下中の意識
どうせ落ちるなら、どこまで意識を保てるんだろうと思っていました。
落下中に4階、3階って数えていて、2階ぐらいで意識が飛んで、目が覚めたら手術が終わった少し後でした。
両手両足を骨折してるので、動かないようギブスが付いていて、真っすぐ上を見るしかない状況でした。
死に対しての恐怖
あまり生に対しての執着がなかったんです。
なので死ぬことが怖いと思わなくて。
今でもそれは変わってないです。
リハビリ
1年ほど入院して、リハビリはその間の、骨折が治ってから始めました。
小学生の時から新体操を週6で習っていたので、練習に比べたら楽でした。
入院中は両手両足動かないからやることもないので、リハビリの時間が唯一体を動かせる時間でした。
楽しかったです。
就職
高校卒業した後は、新潟にあるキヤノンのグループ会社で10年間勤めてました。
意外としっかり働いてたんです。
業務は、インフラ部門で情報セキュリティ関連の業務についていました。
お給料も良かったし、職場の人間関係にも恵まれて、楽しく仕事してました。
■海外へ
いとこに長年ペルーに住んでいる人がいて、いつか行ってみたいという気持ちがあったので、会社のバカンス休暇を利用して2週間ほどペルーに行きました。
きっかけ
現地の大自然に触れた時の感動が忘れられず、その翌年には会社を辞めました。
ペルーでのバリア
都会の方はバリアフリーに対応してる場所もありますが、田舎は全然。
元々便座がついてないトイレがたくさんありました。
日本製などの便座は価値があるものらしく、盗まれるから付いていないところが多いそうです。
そこでも私は用を足しました。正面からまたがってみたいな感じで。田舎の方では、野性的に生きてました。
行きたい国
以前は、基本的にペルー国内をたくさん回りました。
その後、ボリビアのウユニ塩湖や、チリのモアイ像があるイースター島にも行きましたね。あとアメリカかな。
今後も海外に行こうと思ってます。中南米が好きなのでメキシコなどに行きたいです。
退職後の収入面
ペルーには貯金してから行きました。
退職後は収入がなくなるので、ペルーにいた時から為替の勉強を始めました。
なので基本的には為替取引をやっていて、それが今でも続いてます。
あとは、ペルーで少しだけ小学生に日本語を教えたりしてました。
AOIの運営
加わった背景
第1回のディズニー企画に参加者として参加して、すごく楽しかったというのがあって。それこそ私の問題意識が低かったので、今まで旅行などでバリアを感じたことがなかったんです。
行きたい場所があれば行くというスタイルでした。
企画を通して世の中の障害を持ってる人が、障害を理由に旅行に行けないということを初めて知り、それが私の中で衝撃でした。
そこで初めて、自分が旅行に行った時の情報を発信したら、誰かの役に立つかもと意識したんです。
自分がやってることを表に出せば、一歩踏み出そうと思う人がいるのかなと思って。
その後、一緒にやりませんかとご連絡をいただいたので、ぜひ私でよければという事で、第2弾から運営として参加しました。
実際やってどうだったか
運営メンバーがエネルギーが高い人たちばかりなので、それが共振して、一丸となって準備を進められたし、それ自体も楽しかったです。
当日は、参加者の中で”できないと諦めていたことをやってみる”という思考の変化があったと聞いて、本当に嬉しく思いました。
今後の目標
日々何かを選択する中で、この瞬間”自分が何をやりたいか”を意識して。
”やりたいことをやって、気づいたらこんなところまできた”みたいな人生がいいんですよ。
目標とかもね大事なんですけどね。でも私には向いてないかなと思うので。
なので、目標はないけど、自分の人生を成し遂げたいです。
結局将来を不安視しても明日生きてるかも分からないので、今を楽しむしかないかなと思っていて。
心の底から今を生きようと思います。
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【世界希少・難治性疾患の日】RDDとは?歴史や日本での活動。
皆さん、2月の最後の日は、「Rare Disease Day(RDD)」という日だということをご存じですか?「Rare Disease Day(RDD)」は、日本語に訳すと、「世界希少・難治性疾患の日」という意味です。(以下、Rare Disease Day(RDD)を「RDD」と表記します。)
目次
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RDDとは?
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歴史
- 日本では?
- 活動
RDDとは?
皆さん、2月の最後の日は、「Rare Disease Day(RDD)」という日だということをご存じですか?
「Rare Disease Day(RDD)」は、日本語に訳すと、「世界希少・難治性疾患の日」という意味です。(以下、Rare Disease Day(RDD)を「RDD」と表記します。)
「世界希少・難治性疾患」(以下 希少疾患と表記)とは、患者数が少ない疾患のことを指し、その種類は、アメリカのGARD(Genetic and Rare Diseases Information Center)による調査では、全世界で約7,000種類と多岐に渡っていると言われています。(2023/01/29現在:アメリカのGARD(Genetic and Rare Diseases Information Center)による調査)
日本国内においては、患者数が5万人より少ない疾患が、希少疾患に分類されます。
具体的には、下記のような疾患が希少疾患に当てはまります。
- パーキンソン病
- 全身性エリテマトーデス
- 多発性硬化症
- ウィリアムズ症候群
- もやもや病
- 筋萎縮性側索硬化症
- 骨軟化症
希少疾患は、Rare Diseaseと英訳されますが、本当に名前の通り「Rare」(珍しい)なのでしょうか?
その問いに答えるとするのなら…厳密にはそうとは、とても言えません。
全ての病気を全部合わせると、希少疾患の方は、全世界で3億人いると言われています。
日本においては、指定難病になっている病気の患者さんのみでも、100万人いらっしゃいます。
今は、健康なあなたも、あなたの家族、友達、大切なひとも、将来どこかのタイミングで、希少疾患の患者になる可能性は大いにあります。
そして、その希少疾患の患者数の約50%の割合を占めているのが、子どもたちなのです。
全世界でこれだけ沢山の人々が、希少疾患に苦しんでいます。
しかし、その患者数の少なさや、研究の難易度の高さなどから、薬の開発、適切な診断が、全く進んでいない病気も中にはあります。(一説には患者数が少ないということで、企業が利益が出ないため、研究が進めていないということもあるとのことでした。)
希少疾患の中には、医師や看護師といった医療従事者でさえ知らない病名もあります。
そのため、なかなか診断名がつかず、病院を転々としなければいけない患者さんがいらっしゃることが、長年の問題になっています。
このようなデータがあります。
希少疾患の患者さんが、初めての診断で診断名を医師から間違われる確率は、なんと40%という驚くべき数字です。
つまり、初診で本当の病名を見抜けない医者が約半数近くいるということです。
このことからも、どれほど医療従事者の中でも希少疾患が周知されていないかがわかると思います。
また、この患者さんたちが、病名がわかるまでに診察した医者の数の平均は、7.3人というデータもあります。
このデータからも、診断が下されるまでに患者さんがどれほどの時間と労力をかけなければいけないのか、どれほど不安な気持ちで医者を転々と渡り歩かなければいけないのか、と言うことがよくお分かりいただけるかと思います。
病名がわかるまで、いくつもの医療機関を渡り歩くのみならず、同時に複数の病院に通わなければならなかった患者さんも多くいらっしゃいます。
参考:オーファンパシフィック
他にも、同じ病気の方と繋がりにくく、体験談などを知りにくいといった問題もあります。
RDDは、そのような希少疾患を「なるべく早く」且つ「適切な」診断に繋げること、また希少疾患を色々な人に知ってもらい、その認知を上げることを目的としてできました。
他にも、希少疾患の患者さんのQOL(生活の質)を上げることもRDDの目的として、含まれています。
QOLとは、クオリティオブライフの略のこと。
QOLは、詳しく説明すると、患者さん自身の生きがい、苦痛度の軽減などのことを指します。
RDDは患者さんのQOLを上げること…つまり、患者さんの「生きがい」や「幸福感」向上も目指しています。
2月最後の日である2月29日が「うるう年」で珍しく、「希少」なため、2月最後の日が、RDD(世界希少・難治性疾患の日)と決まりました。
RDDは、現在、日本を含む、100カ国で開催されています。
Rare Disease Day(RDD)の歴史
ここで、RDDの歴史を紹介したいと思います。
RDDは、2008年2月29日にスウェーデンで始まりました。
RDDが生まれたきっかけ。
それは、とある研究者の些細な発言からでした。
スウェーデンのカロリンスカ研究所の研究者が、患者さんとお茶をしていた時のこと。
研究者が、
「来年はうるう年でレア(希少)。だから、希少な疾患(Rare Disease)の記念日ができるのでは?」
と言いました。
この発言がきっかけとなり、RDDが誕生したと言われています。
そんなふとした発言で始まったRDD。
しかし、2009年には、30カ国というたくさんの国がRDDに参加しました。
同年2009年には、「2月29日だと、うるう年である4年に1度しか来ない。毎年、参加したい!」という参加した人の意見のもと、2月29日ではなく、2月の最後の日をRDDに変更しました。
その後も、RDDは、どんどんと急成長していき、世界各国に広まっていきます。
現在では、100カ国がRDDに参加。(2022年時点)
日本でも、2010年からRDDの開催がスタートしました。
日本では?
先ほども説明した通り、日本開催は2010年からです。
日本でもRDDが開催されるようになった理由についてお話ししていきます。
それは、2008年に日本開催事務局の西村由希子さんが、アメリカのワシントンD.C.で催された国際希少・難治性疾患創薬会議(ICORD)に参加したことがきっかけでした。
当時、西村さんは東京大学先端科学技術研究センターの研究者であり、薬事法の改定による希少疾病用医薬品にまつわる市場などの変化について研究されていました。
西村さんが、ICORDに参加したのも、その研究内容がきっかけ。
ICORDに参加した西村さんは、患者や研究者、企業などさまざまな立場の人々が、対等に、でも相手を尊重しながら議論を交わしていることに対して、深く感銘を受けます。
西村さんは、そこでRDDの取り組みに興味を持ち、日本に帰国。
その後、西村さんは、即座に協力者を集めて、検討に検討を重ね、2010年に日本開催が始まりました。
それから12年後の、2022年には、日本の全国各地で、50以上のRDDに関係したイベントが開かれました。
活動
日本でのイベントは事務局が公認したイベントが全国各地で行われます。
イベント自体は、各地それぞれの団体が主体となり、それぞれ独自のプログラムを展開。
開催する主体も、実にさまざまです。
それぞれの地域の難病支援団体、もしくは図書館、大学、病院などなど、多岐に渡ります。
日本においてのRDDでは、それぞれの地域で以下のような活動を行っています。
- 講演
- RDDに関連する展示物
- ワークショップ
- ZoomやYouTubeのライブ配信
- スライドショーを使って患者さんの声を紹介
- 患者さんとその家族のトーク談
- 希少疾患の患者さんに向けた相談室コーナー
- 患者の方の演奏
- 患者の方のパフォーマンス
- 川柳大会
などです。
(地域によって、内容は異なります。)
事務局長の西村由希子さんによると、講演会やパネル展示といった、啓蒙活動だけではなく、ワークショップや患者の方の演奏などの活動を入れることで、RDDを「みんなが楽しんで参加できる」、参加型のイベントにするように工夫しているそうです。
2017年には、ひらがなが記載された透明版を目で追って、ALS患者と会話をするワークショップが行われました。
また、2021年には、RDDの日に、東京タワーをRDDカラーにライトアップするなどの取り組みも催されています。
このように、どんな人でも楽しみながら、病気についてを学べるのがRDDの魅力的なポイントです。
また、実際の患者さんと触れ合うことにより、より病気について知ることができることも、とても素敵ですね。
まとめ
この記事で、希少疾患がどれほど周知されていないのか、どれほど沢山の人々が苦しんでいるのか少しでも伝わりましたでしょうか。
また、その患者さんのQOLの向上のためにも開催されている「Rare Disease Day(RDD)」(世界希少・難治性疾患の日)の魅力も少しでも伝わったでしょうか。
日本でも全国各地で開催されています。
今年の2/28にもRDDは、北は北海道から南は沖縄まで、日本全国で、開催が決まっていますので、ご自身のお近くで開催されているイベントを探してみて、ぜひ参加してみてください。
インタビュー、トーク会、質問コーナー、パネル展示、ポスター提示、演奏会、カフェなど、地域によって内容は異なりますが、さまざまな内容が用意されています。
musubiを運営する一般社団法人tsunagariにおいても、RDD JAPAN公認のもと座談会形式のイベントを実施します。
その他開催地域については、下記サイトでご覧いただけます。
ぜひ、少しでも興味のある方は積極的に参加してみましょう!
参考サイト
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障害を価値に変える。一般社団法人Ayumi
一般社団法人Ayumiは「障害を価値に変える」をコンセプトに、バリアフリー認証事業、バリアフリー情報サイト、バリアフリー基金を展開しています。
事業を通して目指すバリアフリーな社会について、代表理事の山口広登(やまぐち ひろと)さんにお話を伺いました。
もくじ
- Ayumiのコンセプト「障害を価値に変える」に至ったきっかけを教えてください
- 起業のきっかけを教えてください
- なぜ車椅子生活を4ヶ月も送ったのですか?
- バリアフリー認証とはどういった事業ですか?
- 「情報格差を無くす」との思いに至った理由を教えてください
- 「未来に期待出来る社会」とはどんな社会なのですか?
Ayumiのコンセプト「障害を価値に変える」に至ったきっかけを教えてください
きっかけは祖母といとこの影響です。
祖母は20代のとき突然重度関節リウマチになり、徐々に手足の筋力が弱まったことで、車椅子生活を余儀なくされました。
いとこも18歳の時、事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となりました。
確かに手足は動かせずさまざまな手助けが必要でしたが、動くことが難しいからこそ気付けることがありました。
街中の小さな段差や、利用しやすいスロープの角度、制度の課題点など。
こうした経験や視野、感覚を伝えることで、新たな商品やサービスを生み出すきっかけになればと思っています。
だからこそ「障害だから○○できない」ではなく、「障害そのものを価値やブランドに変えることができる」と確信しています。起業のきっかけを教えてください
中学と高校時代はサッカー部に所属していて、大学は経済や雇用について学んでいました。
この時はまさか自分が起業するなんて思ってもいませんでした。
起業の原点はいとこと行った旅行です。
旅行で行った温泉はバリアフリーと聞いていたにも関わらず、車椅子では入れないという出来事がありました。
「俺はいいよ。こういうの慣れてるから。」
昔から明るく僕にとっての太陽のような存在だったいとこが、障害を理由に諦めざるを得ない状況に、僕はどうしても納得がいきませんでした。
いとこのために何かできることはないか。
僕の師匠に相談したところ「課題がわかってるならやったらいいじゃん!明日から何しよっか!」と言われ、そこで初めて起業を意識しました。なぜ車椅子生活を4ヶ月も送ったのですか?
元々人材紹介やIT系のスタートアップで働いていたため、福祉は全く違う畑でした。
業界や当事者にどんな課題があるのかがわからず、40人近くの当事者にヒアリングを実施し情報を集めても、理解することがとても大変でした。
すると師匠に「理解できないなら理解できるよう近づけるしかないんじゃない?車椅子乗りなよ!」とアドバイスをもらい、直ぐにいとこの車椅子を借りて4ヶ月間の車椅子生活がスタートしました。
当事者に近い生活をしてみると、今まで見えてこなかった景色がたくさんありました。
環境によって課題の違いがあることに気付かされ、僕にとってのターニングポイントとなっています。
4ヶ月間の車椅子生活をしたことで、熱意や想いを伝えることができ、たくさんの当事者や起業に不可欠な仲間を集めることもできました。
この経験がなければ今の一般社団法人Ayumiはないですね。バリアフリー認証とはどういった事業ですか?
バリアフリーと一括りにしても、一人ひとり必要な情報は異なります。
バリアフリー認証は障害当事者と共に91項目の調査及び審査を行い、認証を行うサービスです。
従来のような認知向上だけでなく、当事者による接客研修や当団体のメディアにも店舗のアピールとなる記事を掲載させていただいています。
認証事業を通して産業を創りたいと考えています。
例えば英検ではテストの他に、塾や教材、講師などさまざまな仕事が生まれています。
バリアフリー認証も派生して雇用の創出や価値向上など、当事者がいないと成り立たない世界を作りたいのです。
そうすることで障害者と健常者が本当の意味での垣根を無くし、歩み寄れる世界が作れると思っています。
バリアフリー認証事業はこちら:https://the-ayumi.jp/service/「情報格差を無くす」との思いに至った理由を教えてください
Ayumiではバリアフリー情報サイトというメディア事業も行っています。
障害に関わる制度やサービス情報はもちろん、高齢者やベビーカーを押すママなど誰にとっても必要な情報を届けられることを意識して運営しています。
また当事者ライターを採用し、当事者にしか気付けない視点というように、当事者ライターの強みを活かし読者に寄り添った記事を発信しています。
インターネットがこれほどまでに発達したにも関わらず、障害に関する情報は出てこないというのが現実です。
実際Ayumiでも当事者やそのご家族を対象に、調査をしたところ、調べたい情報が見つかったと答えた人は4割しかいませんでした。
僕のいとこや祖母も「行きたいところはあるけど、車椅子で入れるかわからないから行けない」とよく言っていました。
情報があることで、選択肢を広げられると思いバリアフリー情報サイトを開設し、これまでに100を超える記事を発信してきました。
また2023年1月6日〜2月6日にクラウドファンディングを実施し、これからより多くの情報を発信できるようにしたいと考えています。
バリアフリー情報サイト:https://the-ayumi.jp/media/
クラウドファンディングはこちら:https://camp-fire.jp/projects/view/639144「未来に期待出来る社会」とはどんな社会なのですか?
先ほどお伝えしたように、僕のいとこは突然障害を負うことになった中途障害者です。
明るくかっこいい兄貴みたいないとこでも、障害を負った瞬間に未来が見えなくなったと言います。
僕も社会人1年目の時にADHDのグレーゾーン診断を受けました。
目には見えない障害ですが、その日から周囲の僕を見る目が変わったのです。
同じように、僕も未来が考えられなくなりました。
それでも今の僕があるのは家族や師匠の存在です。
Ayumiを通して1人でも多くの人に、Ayumiがあったから今があると思っていただけるような法人を目指したいと思っています。
Ayumiは僕だけでは成り立ちません。
当事者含めてAyumiに関わる全ての人と共に、未来に期待出来る社会を作っていきたいと思います。本日は貴重なお話ありがとうございました。
僕にとってお兄ちゃんのような存在の山口さんを取材できて嬉しいです。
山口さんを知る人はみんな口を揃えて「広登は良いやつだよ」と言います。僕が本当に尊敬するところです。
これからも共に切磋琢磨して、より良い社会を目指していきましょう!HPはこちら:https://the-ayumi.jp/
Instagramはこちら:https://www.instagram.com/hiroto_yamaguchi_ayumi/ -
靴を通して誰かの人生の背中を後押したい。布施田祥子さん【脳出血】
片麻痺や義足ユーザーの方でもオシャレを楽しめるブランド「Mana‘olana」を運営し、自身も片麻痺当事者である株式会社LUYL代表の布施田さんを取材させていただきました。
もくじ
- 自己紹介
- 病気ついて
- 人生で最も辛かったこと
- 起業のきっかけ
- 今後の目標
- 同病者へメッセージ
自己紹介
株式会社LUYLの布施田祥子です。クリエイティブに社会課題を解決する特別非営利活動法人ピープルデザイン研究所の理事もしています。
病気ついて
出産の8日後、脳出血で倒れる
2011年の8月に娘を出産して、その8日後に突然倒れ意識を失いました。
原因は脳出血です。
幼い頃から潰瘍性大腸炎を患っており、ステロイドを15年近く服用していました。詳細は不明ですが、おそらく薬の服用で血管がもろくなってたのだと思います。
12日後、目を覚ますと以前のように身体を動かすことができなくなっていました。
心の支えは嵐のライブ
受傷してすぐは寝たきりの状態で、トイレも1人で行けませんでした。
「この先一生、人の手を患うんだ」
1人病室の中で落ち込んだ時もありました。
そんな私の支えの1つは大好きな「嵐」の存在です。5ヶ月後のライブに行くことを目標に懸命にリハビリをしました。
努力の甲斐あって、入院中にも関わらず、外出届を出し念願のライブに行くことができたのです。
「できない」ではなく「どうやったらできるか」
倒れてから8ヶ月が経ち、ようやく家族と一緒に暮らし、娘のそばにいることができました。
母親が着付け師だったこともあり、将来子供ができたら着付けてあげるのが私の夢でした。それを諦めたくありませんでした。
大好きな娘のために、できることは全て自分でしたかったのです。
だからできないことを嘆くのではなく、どうやったら片手でもできるかを常に考えリハビリをしていました。
人生で最も辛かったこと
潰瘍性大腸炎の再燃
必死にリハビリに取り組んでいる中、下痢や腹痛など明らかにいつもとは違う症状が現れてきました。
持病の潰瘍性大腸炎が再燃したのです。
一旦は回復し退院するものの、2013年の秋に再度腹痛などの激しい症状に襲われることとなりました。
それでも入院だけは強く拒んでいました。 また娘と離れ離れになるのだけは避けたかったからです。
しかし身体は日に日に弱っていき、精神的にも限界が近づいていたある日、些細なことから3歳の娘に強く八つ当たりをしてしまいました。
自分でも限界を感じ、病院に行った時には体重は13キロ減り、病気は既に手遅れな状態でした。
大腸の全摘
病院で診察を受け医師から言われたのは、大腸を全摘しないと命が危ないという事実でした。
「なんで私だけこんなに辛い思いしないといけないの。」
落ち込んでた私に母親はこう返してくれました。
「みんないろんなことに悩みながら生きてるんだよ。だから苦しいのはさっちゃんだけじゃない。」
自分だけじゃない。1人じゃない。そう思うと心が救われた気持ちになりました。
そして、2015年に大腸全摘手術を受けました。
今思い返すと脳出血で倒れた時よりも、この時が一番辛かったです。
起業のきっかけ
障害があってもオシャレを楽しみたい
姉の影響でファッションがすごく好きで、日本だけではなく海外で買い物するなど、多い時は100足近い靴を持っていました。
障がいを負った日を境に、そのほとんどが履けなくなり、履きやすい介護用の靴を履くこととなりました。
しかし、介護用の靴は、機能面が良くてもデザイン性に乏しいものばかりでした。
欲しい靴がないなら自分で作ろう。これが最初のきっかけです。
ビジネスコンテストに応募
起業を模索している時に、ビジネスコンテストの存在を知り、活動資金が欲しかった私はすぐに応募したものの、その時はまだ事業計画書すらありませんでした。
それから経営セミナーに参加し、たくさんの方にアドバイスを頂きながら私が事業を通して作りたい未来を言語化していきました。
その結果ビジネスコンテストでは賞を受賞することができたのです。
メディアにも大きく取り上げていただき、私の願望から始まったアイデアを実現することができました。
今後の目標
私は障がいがきっかけで、好きだったブランドのファッションを楽しむことができなくなりました。
私たちが運営するブランド「Mana‘olana」は、全ての人が継続して選べるような商品やサービスを展開しています。今後は企業を巻き込み「選択できることの大切さ」という視点を伝えていきたいと考えています。
「Mana‘olana」はハワイ語で自信や希望という意味です。
私たちは、商品を通して誰かの人生の背中を後押しできる存在を目指していきます。
同病者へメッセージ
楽しく生きて欲しい。これに尽きます。
生きることを楽しんでいる人は、とても輝いて見えます。障害当事者になっても第二の人生を楽しめるような社会を創っていきたいです。
みんなが希望を持って楽しく光り輝ける世界を株式会社LUYLは実現します。
Mana‘olanaはこちら:https://manaolana.jp/
本日はありがとうございました!
こちらこそ楽しかったです!
これからも一緒に盛り上げて行きましょう! -
遠隔リハビリでリハビリ難民を救う!【小脳梗塞:松本さん】
小脳梗塞を経験した松本さんは、自身の病気の体験を糧に、リハビリ難民をなくすため、遠隔リハビリと特注動画を事業としてスタートしました。
目次
- 自己紹介
- 病気について
- 発症時について
- 復職時の大変だったこと
- 起業しようと思ったきっかけ
- 今の事業内容を教えてください
- 今後の目標
- 同病者へメッセージ
自己紹介
松本安弘と申します、47歳です。
1969年の41歳の時に小脳梗塞を発症しました。
発見は早かったんですが入院までに時間がかかり、小脳の左側が4cmほど壊死してしまいした。
急性期に1ヵ月入院後、半年間リハビリをしてから営業職に復職して2022年12月まで働いていました。
自分がリハビリで困った経験から、今は「COPAIN株式会社」という、遠隔リハビリを提供する会社を作りました
病気について
小脳梗塞とは、脳の血管が詰まり、脳の細胞が死んでしまう病気が脳梗塞です。
それが後頭部にある小脳で起きた場合が小脳梗塞で、脳の他の部分の梗塞とは少し違った症状が現れます。
小脳は手足や眼球、口などの複数の筋肉を協調させて動かしたり、体のバランスを保ったりする機能を担っているため、小脳梗塞ではこれらの動きが円滑にいかなくなります。
また、小脳の隣には生命維持に直結する脳幹があります。脳幹にも梗塞が広がったり、小脳が腫れて脳幹を圧迫したりすれば、死に至る危険もあります。
引用:Doctor File 国立循環器病研究センター病院長 飯原 弘二 先生監修
発症時について
嘔吐や眩暈でまっすぐ歩けない、立ってられない、左側へのバランス感覚を崩して、左手が震える動き(失調)がひどい状況でした。
発症時はどう思いましたか。
脳梗塞という病気すら知らなかったです。
癌家系なので自分も癌で死ぬと思っていました。
自分がそんな病気になるとは思っていなかったです。
病気なんてすぐ治るもので、リハビリすれば元に戻るものだと思っていたんですが、、
実際、「治らない」っていう現実が受け入れられなくて、最初は死にたいとまで思っていました。
そこからリハビリに前向きはげんだのですか?
頑張ろうと思ったきっかけは、入院していた時に仲良くしていた同室患者さんです。
その方は、だんだん手足とかが動かなくなっていったんですよね。
後でわかったことなんですが筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者さんでした。
(ALSは、リハビリで良くならない病気ということが示唆されていますが、あくまでいち意見として記述しています。)
自分はリハビリで少しでも良くなるのなら、やらなければならないとその時に思いました。
闘病中になにか支えになったものってありますか?
家族、妻には本当に支えられてもらいました。ありがたいです。
でも妻には申し訳ないんですが、実は、飼っていた犬にかなり救われました。
リハビリのために一緒に外に散歩に行くんですが、私がまともに歩けない時は歩幅を合わせてくれるんですよね。
私が歩けなくなると立ち止まってくれました。
病気になると社会との繋がりがなくなってしまって、会社にも行かないし、家の中に閉じこもってしまい、
病院にしか行かない。
そして、病院は年齢層が高い人しかいないからなかなか話しかけづらい。
でも犬と散歩しているとご近所さんや散歩仲間、友達とかに会う機会も多かったので、
犬の散歩はすごく存在として大きかったです。
病気になって変わったことはありますか?
初めて松川さんにお会いした2年前はとにかく焦っていましたが、
今では、「別に自分は自分でゆっくりでいいや」って考えられるようになりました。
病気になったから人を見れるようになったし、いろんな人の話を聞いて少しづつ自分の性格も変わってきていると思います。
それには感謝しています。
たぶん病気にならなかったら毎会社に行って愚痴を聞いて、毎日お酒飲んでの繰り返しだったと思います。
病後の変化
発症から2,3年は人からどう見られてるかってすごい気になったんですよ。
めんどくさいことには関わるのをやめよう。
自分が心地いいところだけでいいや、って思うようになりました。
無くしたものを全部取り戻そうとすると、100人から好かれようってなりますよね。
でもそれも面倒くさいなぁって思ってしまうようになりました。
復職時の大変だったこと
実際復職して大変だったことはありましたか?
私の場合、見た目が普通だからなんで「さぼってんだ」とか「もっと出来るだろ?」とか「飲み会こないんのか」って言う人にはかなり言われました。
でも直属の上司は結構理解があったんで、守ってくれたのが大きかったです。
でも自分のなかで葛藤はありました。
営業マンなんで、外歩き回れない。
歩いたらもう疲れちゃうんで件数絞るしかない。
ただ膨大な仕事量がある。
頭しか回らないのでどうしたらいいのか。
当時は効率化しか考えてなかったと思います。
それしか生きる道がないなと思いました。
最初、復職してから1日おきの16時までの勤務にしてもらいました。
次の日、何もできなかったです。
身体が仕事の調子を取り戻してきたって感じたのは復職して3~4年経ってやっとからです。
それでも夜9時以降はもう起きてられない、歩いてられない状態でした。
仕事の工夫
私は、仕事に対してこだわりがありました。
そのせいで、出来ないことまでやろうとして身体を壊して、
一回状脱水症状を起こして救急車で運ばれたことがあります。
今思えばそれは良くないことだとわかります。
今出来ることをしっかりやる、全力でやるってことが大切だと思います。
起業しようと思ったきっかけ
企業自体がもう4年前ぐらいにするつもりでした。
最初は、介護職員になりたかったんです。
初任者研修までは取りにいきましたが、身体が回復していないのに夜勤は難しいと断念しました。
お風呂入れるのとか、当時の体力だったり自分が倒れるいうのが本音です。
それを諦めて何か頭使ってサポートできる事をしようと思い起業しようとしました。
当時、本読んで事業計画書作っていたんですが、本気で銀行にお金を借りるためのレポート持ってたら周りから大反対されました。
妻とか近所の人にまで反対されて、「2年間ちゃんと勉強をしろ」と言われました。
事業の運用試験を九州の病院と合同で行っていました。
病院に無償でお願いしていたが、利益が見込める目途がついたので病院にアドバイザーとして入ってもらい、COPAIN株式会社を設立しました。
コミュニティを作ったきっかけ
当時大学院に行っていました。
リハビリをどうしようかって悩んでたときに、私達(当事者)が何を求めてるのかっていうのが全く見えてませんでした。
そこで集まる場だけで作ってみようと思って作りました。
今は50人位参加者がいます。
副管理人さんがすごく頑張ってくれています。
そこまで濃い集まりじゃないんですが、管理人として毎朝の挨拶だけはしようと思っていて必ずやっています。
繋がりだけしっかりもっておけば何かのきっかけでぽろっと話してくれるんです。
その位の繋がりでもいいのかなって思っています。
会社のビジョンを教えてください
COPAIN株式会社のミッションは
「気軽にお節介ができる社会を創る」
にしています
ビジョンは3つありまして、
①後遺症に苦しむ人をなくす
②孤独に苦しむ人をなくす
③孤独死をなくす
と考えてやってます。
ビジョンを3つ作った理由はなんですか?
ミッションが気軽にってどう具体的にどんな社会がいいのかって考えて、
どうやったら実現できるかってビジョンを絞って3つにしました。
①後遺症に苦しむ人をなくす。
っていうのは私はリハビリで全部良くなるとは思っていません。
まずは、後遺症を前向きに捉えられるところまで持っていきたいなと思います。
治るのがベストなんですけど、患者本人の納得が行く着地点まで持っていきたいと思ってます
②孤独に苦しむ人をなくす。
結局一人生きられないんだっていうのが、私が病気になって思った結論です。
孤独に苦しんでいたら、他人のことを考える余裕もないと結論づけました。
③孤独死をなくす。
死ぬときまで1人で生きなきゃいけない世界はなくしたいよねっていう想いからです。
絶対なくしたいと思っています。
3つを合わせると自分自身に余裕ができて、他人に対しても気軽に自然とお節介できるようになるのかなと、感じてます。
この3つさえ揃えばミッションになるんだろうと思います。
今の事業内容を教えてください
事業内容は遠隔リハビリと特注動画で遠方の自宅で病院のリハビリを受けられるような自費サービスを行っています。
最初に患者さんに問診票とか、今の体の動きを教えてもらって、30分間のオンラインカウンセリングを受けてもらいます。
カウンセリングはセラピストが担当しその人に必要なリハビリの内容を動画に撮影します。
初月は3本、1週間から10日以内にインストラクターが出て、YouTubeのエクササイズ系のような音楽とか、毎日見ても、とてもリハビリ動画とは思えないような工夫をしています。
動画はちゃんと言葉で、注意点とか全部入れるようにしています。
説明だけで20分位かかる動画とかあるじゃないですか?そういうのは絶対やらないです。
あとは一人一人に合わせて作って出来るだけストックしないようにしています。
右麻痺の患者さんが左麻痺の動画をみてしまう恐れもあるのでそれは避けたいです。
事前カウンセリングで家にあるものを教えてもらいプログラムを考えます。
椅子の無い家で椅子でリハビリしましょうと言われても、ないものはないですからね。
毎日チャットでやり取りで報告してもらってそれに対してアドバイスや2週間に1度はオンラインでリハビリの動画に対して出来進捗具合をチェックします。
できてるようだったら次の動画にステップアップしていきます。
最初3本作って翌月は1本から2本追加から差し替えをさせてもらってます。
なぜその事業内容にしたんですか。
自分自身が入院してもうリハビリで治らないからやる必要ないと言われ、医師に回復期病院への転院を否定されました。
最終的にはセラピストさんたちが今の状態では無理だということで、週に80分だけリハビリを受けられるようになります。
しかし絶対量が少なかったので、専門書読んで自分で自主トレーニングしていました。
私は運よく効果があったんですが、それは素人の危険行為だと言われました。
でも専門家の自費リハビリだと1時間で1万円前後かかってしまうので費用負担が大きい。
介護保険だとどうしても制約が相当あるしてもらう方は月8時間です。
他の方法だと集団指導になってしまって個別性はない。
医療保険だと担当してやっちゃうと月4.3時間まで減ります。
そこで、安価でリハビリを提供できる方法はないかと模索して、動画等使えるものを使って個別性を高めていこうという今の形になりました。
価格は月額で標準的なクラスで月額1万8920円です。
1日当たりで考えれば700円ぐらいで済むように押さえています。
実際、カツカツでやってます。
同じ業界の人には「儲ける気がない」ってよく怒られます。
今後の目標ってありますか?
もちろん仕事としてこれを軌道に乗っけることがまず一番です。
しかし、遠隔リハビリというのが日本でもほぼ論文数が0本なんです。
当社の強みは、研究施設がある医療機関が熊本の武蔵ヶ丘にあり、優秀なリハビリ専門医と理学療法士がアドバイザーで入ってるので、彼らなら遠隔リハビリを突き詰めて、論文も書けますし医学的エビデンスも取ってくれる。
遠隔リハビリというものが確実に患者さんに効果があるということを実証をさせていきながら、リハビリの選択肢の一つに入れてもらう。
今の日本の制度の隙間を埋めると考えてるので、リハビリが受けたくても受けれないというリハビリ難民をなくすっていうのがもう最終目標です。
同病者の方に最後一言
昨日まで出来ていたことが今日できない、という酷な病気だと思います。
私は障害受容って必要ないと思っていて本人が決めることだと思います。
周りから言われてするものじゃなくって、本人が納得して障害受容するものだ、というのが本音です。
もしかしたら身体が辛くて100%うまく行かないこともあると思いますが、人はなにかで頑張れるようになるものだと思っています。
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ケアワーカーとは?必要な資格やスキルについて。
もくじ
- 施設や職種ごとに求められるスキル
- ケアワーカーのスキルアップについて
- ケアワーカーとソーシャルワーカーとの違い
- ケアワーカーとして働くには資格取得がおすすめ
- 国家資格を持つケアワーカー「介護福祉士」
- さらに上の資格「ケアマネージャー」になるには
- 最後に
ケアワーカーとは、資格の有無に関係なく、高齢者や障がいを抱えた人を介護する仕事に従事している全ての人々の総称です。
仕事内容としては、食事の介助や入浴、排せつなど身体介護や、家事援助や精神的なサポートまで、幅広くあります。
利用者の介護度に応じて負担も大きくなり、ベッドから車椅子までの移乗など、経験とスキルが必要な場面もあります。また、働く場所によっても求められるものが変わります。
これから高齢化社会を迎えることや、障がいを抱えた方が地域で暮らしていくことを考えると、ケアワーカーは社会に必要不可欠な存在です。
この記事では、そんなケアワーカーに求められるスキルや、資格の取得などでスキルアップについてまとめていきます。最後までお付き合いください。
施設や職種ごとに求められるスキル
例えば訪問介護には、家事援助が必要になります。
調理や掃除といったサービスに加え、服薬管理が必要なケースもあり、利用者によって柔軟な対応が求められることになります。
利用者の生活に密接した現場になるため、悩みや不安を聞き出し、家族やケアマネジャーに伝達するなどのコミュニケーションスキル・病気特有の症状への理解も必要になります。
また、グループホームなどの介護度が高い利用者が入所している施設であれば、身体介護が主な仕事となり、24時間体制で介護する必要があるため、夜間勤務も必要となります。
一方、高齢の方が通うデイサービスやデイケアは、身体介護の必要性は低くなるものの、送迎や、脳の活性化や身体機能の向上、コミュニケーションを活発にすることなどを目的としたレクリエーション業務があります。
レクリエーション業務では、リズム体操や漢字や計算などの脳トレ、折り紙や手芸塗り絵などの指先を使うものや、カラオケなどをする場合もあります。
ケアワーカーのスキルアップについて
ケアワーカーは資格がなくても始められる仕事です。
介護職員初任者研修修了者(ホームヘルパー2級)や、国家資格である介護福祉士を持っている有資格者とともに、現場では一緒に働いています。
現場で求められていることは、有資格者とあまり変わりません。しかし、将来的に管理職などのスキルアップを考えているのならば、国家資格である介護福祉士は必須となります。
ケアワーカーとソーシャルワーカーとの違い
ソーシャルワーカーとは、患者や利用者、その家族のために社会資源や医療制度を結びつけることが主な仕事内容となります。
国家資格に該当する社会福祉士や精神保健福祉士が従事することが多く、身体介護は行いません。ソーシャルワーカーと連携して介護サービスの提供にあたることもあります。
ケアワーカーとして働くには資格取得がおすすめ
まずは、介護職員初任者研修から、実務者研修、介護福祉士へとステップアップしながら資格を取得していくと、基本給のベースアップや資格手当が期待できます。
介護福祉士資格を保有していれば、転職時にも有利に働き、正社員として雇用されることも期待できます。
介護職員初任者研修は、スクールで講義と実技演習を学び、合格率約100%の修了試験を受けて取得することができます。
受講料も最安3万円台から、最短3週間で取得できます。
全国各地にスクールがあり、自宅から通いやすいスクールで取得できます。誰でも、取得しやすい、ハードルの低い資格といえるでしょう。
参考サイト:資格ならシカトル 介護職員初任者研修
実務者研修は、介護職員初任者研修を受けてなくとも受講できます。すでに介護の仕事を3年くらいしているのならば、ここから始めるのもひとつの手でしょう。
メリットとして5つの点が挙げられます。
- 介護福祉士国家試験の受験資格獲得につながる
- 喀痰吸引や経管栄養などの医療的ケアを学べる
- 資格手当による給料アップが叶う可能性がある
- サービス提供責任者を目指せる
- 自分のスキルを活かせる職場が増え
受講時間 約450時間、受講期間(目安)6ヶ月程度で取得できます。
参考サイト:きらケアきらっコノート 介護福祉士実務者研修とは?初任者研修との違いや取得するメリットを解説!
国家資格を持つケアワーカー「介護福祉士」
まずは受験資格要件を満たす必要があります。
ここでは無資格・未経験の方でも目指すことのできる実務経験ルートを紹介します。
実務経験ルートの資格条件として、正式には従業期間3年(1,095日)以上、かつ従事日時540日以上が必要条件とされています。
実務経験ルートの国家試験の受験資格として実務経験のほかに実務者研修資格の修了が必須とされています。
専門的な学校を卒業していない場合でも受験資格を満たせるため、無資格から介護職を始め、実務経験を重ねながら介護福祉士資格を目指すケアワーカーも数多くいます。
働きながらキャリアアップできる点では、ケアワーカーは将来性を見込める仕事であると言えます。
さらに上の資格「ケアマネージャー」になるには、
介護福祉士からケアマネージャーになるには最短で5年が必要です。
これはケアマネージャー試験の要件として「介護福祉士としての実務経験を5年以上(かつ900日以上)積むこと」が定められているためです。
介護福祉士の資格を保有していて、ケアマネージャー試験の受験を考えている方は、まず介護福祉士としての実務経験年数を確認してみましょう。
日数の算定に雇用形態は関係ないため、通算5年以上(かつ900日以上)の条件を満たせばパートや非常勤であっても試験を受けられます。
ただし、介護福祉士資格を取得する前の介護業務は、実務経験にカウントされません。
また、資格取得から5年以上経っていても、育児休業などの休業期間は、900日以上の従事日数にカウントされないので注意が必要です。
最後に
いかがでしたでしょうか。
このように、ケアワーカーは、資格を持たなくてもできるお仕事ではありますが、資格を取得するごとにスキルアップを狙えるお仕事となっています。ご参考にしてください。
参考サイト