• 一緒に受け止め、挑戦していく。看護師・大山尚美さん【乳がん】

    一緒に受け止め、挑戦していく。看護師・大山尚美さん【乳がん】

    北海道で看護師の経験を活かした保険外サービスを提供している大山尚美さん。自らの乳がんに対する闘病中の想いや、その後の「北海道・小樽を1日楽しむ」ことをテーマに掲げたイベントの経緯や想いを取材しました。

    目次

    • 自己紹介
    • 病気の発症当時について
    • 病気になって1番変わったこと。
    • 現在の仕事について
    • 「小樽市を1日楽しむ」イベントとは?
    • イベントを企画した理由
    • 大山さんの想い
    • 今後の活動や目標

    自己紹介

    はじめまして、大山尚美です。7年前に乳がんを患いましたが、北海道札幌市で看護師をしています。昨年からは、看護師による保険外サービス事業を行っています。

    病気の発症当時について

    7年前、テレビなどで乳がんについてよく取り上げられていたため、看護師の同僚と「私達もチェックしなきゃね」と話し、その後自分で胸を触っている時に2cm弱のしこりを発見しました。

    知り合いの職員さんは「私も同じようなものあったけれど、なんともなかったよ?」と言っていたので、しばらく様子を見ることに。けれど、時間が経つにつれ、しこりはどんどん大きくなってきました。

    まるで、消しゴムみたい。

    ちょうど、別件で手術をする予定があったので、検査はそれが終わってからという話になりました。
    忘れないために自分の誕生日である3月にマンモグラフィを受けることにしました。

    自分のなかでは、これが悪いものであるという確信のようなものがあって、案の定、乳がんということがわかりました。治療は乳房の全摘出とリンパを取り、ほかに転移はありませんでした。

    5年間、薬を飲むことを提案されましたが副作用に、子宮がん発症・うつ病とあり、子どもたちからもそれは困るねと言われて、何もせずに転移や発病した場合は、受け入れようと話しをしましたね。

    病気になって1番変わったこと。

    それはできていたことができなくなるということです。

    私は利き手の右側を摘出したので、痛みなどの影響もあり、細かな作業ができなくなりました。
    ご飯を食べるのでさえ大変で、痩せてしまう!と周りに心配されたこともありました。

    また、料理が趣味だったのですが、発症後は本当に苦痛になってしまい、今までであれば30分で作り終わっていたところ、3時間もかかってしまうようになりました。

    このようなことが度重なり、自分はなぜ生きているんだろうと考えるようになってしまったんですね。

    けれども、私には子どもがいるので、「生きなきゃ!」と思ったんです。
    だから、できない自分が辛くて、何かできることを探して見つけたのがケアマネージャーの資格の勉強でした。
    その後、私はケアマネージャーの資格を取り、今も活かしています。

    ※ケアマネージャー(介護支援専門員):居宅業務と施設などにおける業務に分かれますが、主に介護を必要とする方が介護保険サービスを受けられるように、ケアプランを作成しサービス事業者などと連携して介護者を支援する仕事です。

    現在の仕事について

    現在は、看護師の保険外サービスの事業をしています。
    仕事内容は、介護保険や公的保険ではできないような、受診の同行やお出かけの付き添いなどです。

    例えば、一人暮らしの方が医療機関の受診に単独で行くには、先生の話の理解が難しいという方もいますね。
    また、体力的に自信がないという方に受診の同行の支援も行います。

    また、がんの末期の患者様が自宅で過ごす際、ご家族さまの代わりに見守ることもあります。
    ご家族が見守りをし続けて、「ちょっと夜間も眠れてなくて」と、負担が多い場合には私が代わりに見守り、その間に休んでいただくこともあります。

    ほかにも、入院中の方が最後に実家に戻って親戚に会いたいとか、法事に出たいという要望があり、一緒に行くなどしています。

    「小樽市を1日楽しむ」イベントとは?

    看護師の保険外の事業のひとつとして、障がい当事者をサポートする事業があります。

    今年の7月13日に北海道の小樽市で医療従事者と障がい者が集まり、「小樽市を1日楽しむ」というテーマを掲げて、イベントを行いました。

    現地集合のため、小樽市に来られる方限定となりましたが、車椅子の方が4名・医療従事者が6〜7名が集まってくれました。

    浴衣を着たり、小樽の町並みを散策したり。人力車にも乗りましたね。
    ほかにはガラス細工が有名なのでとんぼ玉を制作したり、みんなでお酒を交わしたり、とても楽しかったですね。

    障がいを持たない方であれば、何事も問題なく過ごせる旅行のプランだと思います。

    しかし、障がい者の方には難しい場面もあります。
    手や足に障がいを抱え、立っていることが難しく1人では浴衣を上手に着ることができません。

    また、人力車に1人で乗るには、段差を昇らなければ乗車することができず、乗れたとしても、道中の揺れに対して体が転ばないようにバランスをとることも大変です。

    ガラス細工では、両手を使う細かな作業も手が動かないと挑戦する勇気も湧いてこないかもしれない。

    階段や坂、段差が多い商店街を散策したとしても、お店に入るにも段差を昇らないといけない、散策をするにしても坂を下らないといけないなど、どこかで億劫になることも考えられます。

    ですが、これらを現場のスタッフや医療従事者がサポートすることで、普段できないことやらないことに挑戦する意欲が掻き立つのではないかと思い、今回のプランを企画しました。

    イベントを企画した理由

    障がい者の方それぞれに必要なケアが違ったり、ここまでは手伝ってもらいたいけれど、ここからは自分でやりたいという気持ちがあると思います。

    医療従事者の方には、病院以外の場所で障がい者との関わりを体感してほしいと思い、企画しました。

    障がい者の方には、あえてバリアの多い小樽市を選んで医療従事者の協力を仰ぎつつも楽しんでもらおうと思いました。

    そして、「もっとできることがあるんだよ!挑戦して欲しい!」など前向きな気持ちになってほしいという思いも持っています。

    今回は、浴衣や、段差や坂のあるお店・商店街、両手を使うお土産作りなど、障がい者にとってはとてもバリアが多い環境となりました。

    周りのサポートはありますが、サポートがあれば、障がい者の方でも普通のことができる。

    挑戦することで、新しい発見があることを実感していただけたと思います。

    今後の活動や目標

    イベントに関しては、今回の反省点も踏まえて、医療従事者に関わらず、たくさんの方に参加していただきたいです。

    今後はバーベキューなどさまざまな企画を行うことで、最終的にはキャンプを行いたいと思っています。
    保険外サービスの事業では、みなさんが自分の人生を納得して終われるように、「今」を笑顔で過ごすことができる方を増やしたいです。

    大山さんの想い

    テレビで障がいの方がインタビューを受けている映像を見たんです。

    私はそれまでは、「助けなきゃいけない、できないんだな」と思い、やってあげなきゃと思っていました。

    ですが、人それぞれで違う感情があったのです。

    その方々はコメントで「何もできないわけではないので、かわいそうと思わないでほしいし、助けなきゃいけない存在と思ってほしくない」とおっしゃる方がいる一方、「私はいつでも困ってます」と手助けを求める方もいました。

    本当に人それぞれだなと思い、だからこそ一緒に体験してその方との関わりを持たなければならない、その方のことを考えないとケアができないと思いました。

    こうした思いもあり、今後もイベントを継続したいと思っています。

    読者へのメッセージ

    乳がんというのは、女性にとって大事な大切な臓器でもあり、人生を考える病気なのかなと思います。
    外見の変化やそれに伴う喪失感・自己肯定感が低くなることもあると思うんです。

    乳がんを患っていたとしても前向きに過ごしている方は、いらっしゃると思いますが、今、無理して受け止めなくてもいいと、私は思っています。

    なので、まず受け止められない自分を否定せずに、そのときの感情で受け止められないときは誰か頼れる人を見つけたり、自分のことじゃなくても誰かのことで幸せを感じる物を探したり。何とかその方も元気で過ごしていてほしいなと思います。

    私も仕事していますが、病気のことなどを受けいれられていないと思うので、一緒に頑張っていきたいですね!

  • 世の中のために正しいトレーニングを提供したい。山本拓也さん。【クローン病】

    世の中のために正しいトレーニングを提供したい。山本拓也さん。【クローン病】

    北海道・小樽市でスポーツトレーナーとして働く山本拓也さん。
    「personal gym Takku」を開業し、パーソナルトレーナーとしても活躍されています。
    ご自身の仕事の経験もあり、世の中のためになりたいとトレーナー業に注力しています。
    今回は山本さんのお仕事に対する想いや、今後の活動についてお話を伺いました。

    目次

    • 自己紹介
    • 発症・病気について
    • 現在の仕事について
    • 今後の目標
    • 同じ病気の方や境遇の方へのメッセージ

    自己紹介

    山本拓也です。みんなにはたっくと呼ばれています!
    スポーツトレーナーとして北海道・小樽市に「personal gym Takku」を開業しパーソナルトレーナーとジムの経営を行っています。

    発症・病気について

    僕はクローン病という、消火管の病気を10年前に発症しました。
    大学生の時、腹痛と微熱が1ヶ月ほど続いたため、病院を受診したところクローン病の可能性が疑われ、精査後に確定診断を受けました

    僕の場合、最初は状態が悪く、寝たきりになるほどお腹が痛くなり、一歩も動けない状態だったんです。
    41度の熱があり、意識も朦朧としていたのですが、病院でのベッドの空きがなく入院できませんでした。
    そのため、ステロイドを使用し、自宅療養を行い、症状を落ち着かせることになりました。
    その際の症状は良くなったのですが、クローン病の治療は必要であったため、免疫抑制剤・レミケードという点滴による治療を行うことになりました。

    この免疫抑制剤を使用してからは、症状が落ち着き、現在もレミケードを定期的に使用しています。
    同じ病気の他の方の話を聞くと、油ものや食べる量が多いと状態が悪くなる方もいるようです。
    僕の場合は、幸いなことに現在の日常生活において苦手な食べ物や活動の制限はありません。

    レミケードによる治療を開始してからは、体調不良も少なくなりました。これは僕の場合なので、症状や薬の効果は個人差があると思います。僕の場合、最初は状態が悪く、寝たきりになるほどお腹が痛くなり、一歩も動けない状態だったんです。

    クローン病とは、慢性的に胃や腸などの消火器管に炎症が起きてしまう自己免疫疾患です。たとえば、食べ物を食べてもそれを異物と見なし、自分の体を攻撃してしまい、食べ物を食べるたびに腸が傷ついてしまうような病気です。
    暴走した免疫をおさえない限り、腸が傷つくことを繰り返してしまいます。
    参考:クローン病 指定難病96

    現在の仕事について

    トレーニングに対する想い

    僕が開業をする前は、会社員としてスポーツトレーナーに従事していました。その働いていた事態から感じていたことは、「怪我をしないトレーニングを世の中に広めていきたい」という想いです。

    トレーニング中に怪我をしてしまうお客様もいます。これには様々な理由がありますが、トレーナーの指導不足ということもあります。
    僕は大学で理学療法について勉強し、大学院でアスレティックトレーナーについて深く勉強しました。

    だからこそ、根拠のあるちゃんとしたトレーニングを届けたいと考えています。
    また、怪我をしないトレーニングが結果につながることも示したいと考え、理学療法士・アスレティックトレーナーの資格を活かして開業を決意しました。

    僕が運営しているジムでは、「科学的に根拠のあるトレーニングを提供する」ことを大切にしています。
    そのうえで、大切にしているポイントは、「実際に自分で実践すること」・「本当に効果がでるトレーニングを提供すること」の2つです。

    パーソナルトレーナーとして、提供したトレーニングがしっかりとした結果に繋がるよう、
    示していければと思い、活動を続けています。

    理学療法士とは、怪我や病気で身体に障害がある人や障害の発生が予測される人に対して、ひとりひとりに医学的・社会的視点から身体能力や生活環境等を十分に評価し、それぞれの目標に向けて適切なプログラムを作成します。
    参考:日本理学療法士協会

    アスレティックトレーナーとは、公認スポーツ指導者制度にもと基づき、JSPO公認スポーツドクターおよび公認コーチとの緊密な協力のもとに、1)スポーツ活動中の外傷・障害予防、2)コンディショニングやリコンディショニング、3)安全と健康管理、および、4)医療資格者へ引き継ぐまでの救急対応という4つの役割に関する知識と実践する能力を活用し、スポーツをする人の安全と安心を確保したうえで、パフォーマンスの回復や向上を支援する。
    参考:JSPO日本スポーツ協会

    今後の目標

    目標はパーソナルトレーナーとしての実力を上げつつ、地域に貢献できるようになりたいと考えています。

    僕は小樽が好きなので、この小樽市を盛り上げたいと考えています。
    昨年は小樽市制施行100周年であり、たくさんのイベントがありました。
    また、今年は小樽運河ができて100周年でイベントが準備されています。
    僕は、こういったイベントの実行委員としても参加しており、小樽市を盛り上げるためにも注力しています。

    僕は、僕のトレーニングを受けに全国から足を運んでくれるようなトレーナーを目指しています。
    僕のトレーニングを受けに小樽に来てもらえたら、小樽の活性化につながるのではないかと思っています。
    パーソナルトレーナーとしての実力を上げ、全国からお客さんが訪れることで、地域活性化につなげることが今後の目標です。

    同じ病気の方や境遇の方へのメッセージ

    クローン病は筋トレとの相性が悪く、トレーニングを十分に行えたとしても、栄養を十分に吸収することが難しいです。
    正直、相当苦労はしましたが、病気を理由に諦めなかった結果、今はやりたいことを継続できています。

    いまの状態が悪化したら同じことは言えないかもしれませんが、調子が悪くても自分がやりたいことをできる方法があるはずなので、探しながら病気と戦ってほしいです。

  • ハンデがあっても諦めないでほしい。仕事をマッチングする機会を提供するシステムを。。石崎慎也さん【広汎性発達障がい・うつ病】

    ハンデがあっても諦めないでほしい。仕事をマッチングする機会を提供するシステムを。。石崎慎也さん【広汎性発達障がい・うつ病】

    障がいのある皆さんが仕事しやすい環境で、クライアントさんと繋がる機会を作りたい。今回は発達障がいというハンデを持ちながら、障がいがある人とのマッチングする機会があるサービスを作りたいという目標がある石崎慎也さんを取材させていただきました。

    目次

    • 自己紹介
    • 病気・発症時について
    • 現在の仕事
    • 今後の目標
    • 同病者へメッセージ

    自己紹介

    初めまして、石崎慎也と申します。年齢は35歳です。埼玉県在住です。
    B型施設に通所しながらエンジニアの経験を活かし、ハンデのある人と仕事をマッチングするWeb上のプラットフォームを作りたいと思います。

    病気・発症時について

    病気は後半性発達障がいと、うつ病です
    症状としては、感覚過敏の症状もあります。
    広汎性発達障がいの診断を受けたのは2018年で、5年ぐらい前。
    先立って2016年に、うつ病で障がい者手帳を取得して、更新するときに発達障がいの診断を受けた次第です。

    現在の仕事

    エンジニアリングの仕事は案件が途切れてしまっているので、在宅でできる就労継続支援のB型に通所しています。
    データ入力やライティング等の仕事を請け負いつつ、別途フリーランスエンジニアとして活動しています。
    エンジニアとしては、個人でサービスの開発をしています。
    結構、体調に波がある病気です。
    抑鬱が強く出てしまうこともあるので、横になってる時間も長いです。
    暴飲暴食気味で栄養偏ってしまうので訪問看護を受けており、週1回、ストレッチ等の軽い運動等をしています。

    過去の経歴

    2010年から働いていて、今年で社会人生活14年目です。
    2010年から2016年の頭ぐらいまでは、正社員でエンジニアの仕事を中心に働いていました。
    2016年から2022年ぐらいまでは、障がい者雇用で事務や農作業等の仕事を経験しています。
    2021年から、個人事業主としても活動していて、最初は物販や、ブログを書いていたと同時に
    フリーランスエンジニアとして活動させていただいております。ただし、まだまだ技術力不足と発達障がいがあるので、長期就労することが難しく今に至ります。

    今後の目標

    長期だと、私のようにハンデのある人と仕事をマッチングするウェブ上のプラットフォームを作りたいと思っています。
    構想を練る段階から設計して、開発して、テストして、運用、保守するっていう、一連の工程を独力で、できるようになりたいです。
    実際に運営していくにあたっては、仲間を募らないといけないので、エンジニアだけじゃなく、デザイナーとか営業とかコンサルタントをしてくれるような人も必要になるので、人脈作りっていうこともしていきたいと思っています。
    短期では、ウェブ系のエンジニアとして技術力がまだだまだ足りないので磨いていくこと、体調の波が激しいので安定的に生活することを目標にしています。

    障がい者が仕事しやすい環境を整えて、スキルをキャッチアップしていくというサービスを作りたい!

    困っていることが、一昨年に開業届を出した段階で、クラウドソーシングサービス使ってきたんですけど、なかなか仕事を獲得できないことです。
    障がい者の採用を想定していないクライアントさんが多くいます。
    私自身は転職回数が多く、一般雇用枠で5社、障がい者枠で3社と転々としているので、なかなか書類選考も通らないし、面接行っても落ちてしまうのが現状です。
    その点を踏まえて、障がいのある皆さんが仕事しやすい環境を整えて、スキルをキャッチアップしていくというサービスを作れればなと思っています。

    同病者へメッセージ

    ハンデがあっても自分がやりたいこと、やってみたいことにチャレンジしていいと思います。
    一緒にチャレンジしていきましょう!

  • 自身の経験を活かして介護事業を立ち上げる!松原さん【頚髄損傷】

    自身の経験を活かして介護事業を立ち上げる!松原さん【頚髄損傷】

    頚髄損傷で肩から上しか動かすことが出来ず、電動車いすで生活しながら講演会や介護事業を立ち上げる準備をしている松原さんにお話を聞かせて頂きました。

    目次

    • 自己紹介
    • 病気・発症のきっかけ
    • 発症してから明るくなるまでの期間・明るくなったきっかけ
    • 今の活動
    • 今後の目標

    自己紹介

    34歳の松原 健と言います。

    現在札幌で一人暮らしをしていて、24時間ヘルパーの介護を受けています。 

    病気について・発症のきっかけ

    □病気について

    重度の頚髄損傷で、首の骨の脱臼骨折と脊髄の損傷があります。

    現在人工呼吸器を装着し、電動車椅子で生活していて、肩から上しか動かすことが出来ないので、顎で車椅子を操作しています。 

    □発症のきっかけ

    建築資材を扱っている会社で営業の仕事をしていて、自分で物を売りながら配達をしているのですが、配達する前に物を倉庫の中から出す際に高い所にある物を取ろうとし、足を踏み外して頭から落下して救急搬送されました。 

    発症してから明るくなるまでの期間・明るくなったきっかけ

    明るくなったきっかけは、周りの人達に助けてもらったことですね。

    この数年はコロナが流行っていて、この期間に怪我をして入院している人たちは、面会出来なかったり、見舞いも出来なくて、家族でさえ、この数年で数回しか会っていないという状況下で大変だったと思います。

    しかし、僕の場合は、面会が出来て、家族の付き添いが出来たので、そういう時に、面会に来てくれた家族や友達と何気ない会話をしていて、病院の外で自分の足で面会に来てくれた友達や家族に会いに行きたいと思ったのが、一番のきっかけです。

    明るくなるまでに2年3か月入院していた中で、1年半かかりました。 

    今の活動

    ソーシャルワーカーの協会で、講演会のゲストとして呼ばれて在宅での生活についてお話させて頂いたり、小学校で子供達に障がいについて数回お話させて頂いたりしているという形なので、今仕事といえるような仕事をしていないです。 

    また、知り合いのヘルパーの方と一緒に介護事業所を立ち上げる準備をしている最中です

    今後の目標

    介護事業所を立ち上げることで、障がいをもった当事者が事業を始めるモデルとして継続していきたいです。

    そして、今までしていた講演活動を数少なくてもいいので続けることで、発信していきたいと考えています。

    同じような病気を持った方へのメッセージ

    僕のような障がいを持った当事者は、周りからみると大変そうだと思われたり、冷ややかな目で見られたりすることを経験しますけど、それに左右されて生きていくのは人生が勿体ないと思います。

    最初は嫌かもしれませんが、数多くある大変なことを乗り越えてしまえば、それ以上に楽しいことが沢山ありますし、それに向かって一緒に協力してくれる仲間達も自然と集まってくるはずなので、頑張っていけるといいなと思っています。

  • 障がい者だから、健常者だからって決めるのではなく、一緒に楽しんで盛り上がることが大切!高岡杏【脳性麻痺】

    障がい者だから、健常者だからって決めるのではなく、一緒に楽しんで盛り上がることが大切!高岡杏【脳性麻痺】

    産まれながらの障害はあるが、障がい者も健常者も一緒に楽しめるエンターテインメントを模索する23歳の素敵な高岡さんを取材させていただきました。

    目次

    • 自己紹介
    • 障がいについて
    • 現在の活動
    • 今後の目標
    • メッセージ

    自己紹介

    はじめまして。高岡杏です。今年の春に筑波大学人間学群障害科学類を卒業した23歳です。

    大学では障がいを持っている子供が虐待を受けた時の支援について研究をしていましたが、今は定職には就かず、好きなことやエンターテインメントの力で障がい者と健常者がもっと近い存在になるはずだと思い、様々な活動をしています。

    障がいについて

    私は脳性麻痺アテトーゼ型といって、生まれた時から障がいを持っています。

    四肢と口の辺りに麻痺があるので、外出する時は電動車椅子を使うほか、コミュニケーションは肘でiPadを打つことによって行います。

    初対面の方にはよく「え!肘で打つ人なんて初めて見た!器用だね!」と驚かれることが多いです。

    スマホはさすがに無理でしょ?

    と言われることもありますが、スマホも打ちます。

    じゃあ、パソコンのキーボードは?

    キーボードは強く押しすぎて壊したことがあるので、使いません。

    意外と力がある方だったりします。

    麻痺があるため、日常生活において全てに介助が必要で、家族やヘルパーさんの力を借りながら暮らしています。

    現在の活動について

    生まれつきの障がいなので、自分が歩けないことの劣等感などはあまり感じたことがありません。

    しかし、私は小中高と普通校に通っていたので、周りの友人と比べてできないこともたくさんあるほか、自由に遊びに行けなかったりするもどかしさを感じていました。

    友人たちは普通に接してくれるにもかかわらず、大人は私を特別扱いするという現実が受け入れ難いと感じていた時もあります。

    脚本家になろうと思ったきっかけ

    高校時代、クラスや部活でショートムービーを作る機会があり、私は元々物語を書いたりすることが好きだったので、脚本を担当することになりました。

    私は撮影中に周りの友人とわいわいしながらも自分の意見を素直に言えることがものすごく楽しくてたまらなかったです。

    障がい者と健常者の壁なんかそこにはありません

    とにかく、自分がイキイキしていると感じることが出来たのです。

    「脚本書いてくれてありがとう。」

    「映画面白かったよ。」

    という友人の言葉がとても嬉しかった。

    この時私は脚本家になろうと決め、現在も自分のペースで脚本を書いています。

    大学進学と葛藤

    このような感じで楽しく過ごした高校時代も終わり、私は筑波大学に進学します。

    大学に進学して、一人暮らしもするようになり、さらに楽しく過ごす予定でしたが、その逆でした。

    障がい者について学び、自分が障がい者であること、障がい者と健常者の世界がくっきり分かれていることを知りました

    辛かった。

    モヤモヤが止まらなかった。

    障がい者でしか見られないこと、そこに見えない壁を感じてしまい、ものすごく困惑してしまいました。

    自分なりの答え

    どうにかしたいと思い、思いついたのが高校時代のショートムービー作りのような空間を作ることです。

    障がい者と健常者が共に過ごす時間を増やし続けることが出来れば少しづつお互いが近い存在になるのではないかと思っています。

    それが好きなものを通して出来たら、速いスピードでその距離が縮まるのではないかと考えてました。

    ショートムービー作りのようなワークショップを定期的に行うことが出来るように、すきなことやもので繋がりを生むようなコミュニティを作ることが出来るように活動をしています。

    この活動はLittleYouという挑戦をする若者を応援するプロジェクトに選ばれ、9月18日に京都でプレゼンをすることになりました。

    以下にリンクを貼っておくので、お時間ある方は見てくださると嬉しいです。

    https://littleyou.jp/

    今後の目標

    今後の目標としては3つ大きくあります。

    1つは前述の通り、障がい者と健常者が共に過ごすためのワークショップを定期的に開催していき、同じようにコミュニティを構築していくことです。

    2つ目はエンターテインメントのバリアフリー化に向けた活動をしていきたいなと思っております。

    好きなことやものと同じようにエンターテインメントには、障がいの有無に関わらず、みんなで楽しめるものが多いと思います。

    例えば、私は大好きなアイドルグループのライブによく行きます。

    ライブの時は誰が障がい者であるとか、国籍が違うとか関係ありません。

    したがって、私はこの世の中が共生社会になるためには、エンターテインメントの力も借りると良いと思っています。

    しかし、車椅子席の問題や情報保障の問題などがあります。

    私はそういった問題にフォーカスしていった活動も今後していきたいです。

    3つ目は脚本家としていつか活躍できるように努力することです。

    私が本当に夢を叶え、脚本家になることができたら、障がい者でも夢は叶えられる!と証明できると思います。

    私は昔から色々な障がい者当事者の方を見てきて、障がい者であることを武器にされてるような気がしていました。

    それはとても強みだと思います。

    けれども、子供ながらに障がいと関係ない夢は叶えられないのではないかと思ってしまいました。

    そんなことはないはずです。

    だから、私は私の夢を叶えて、障がい者だって夢はなんでもいいのだよと伝えたいです。

    私はいつか些細な人間関係がメインでクスッと笑えるようなドラマを作りたいと思ってます。

    これらを3つの目標のために日々頑張りたいと思います!

    メッセージ

    障がい者だからこう!健常者だからこう!って決めるのではなく、一緒に楽しんで盛り上がることが大切だと思っています。

    一緒に楽しく人生を過ごしていきましょう!

  • 「自分で自分のことをかっこいいと思える人生を送りたい」自分の挑戦をコンテンツにしたYouTuberすけ兄さん

    「自分で自分のことをかっこいいと思える人生を送りたい」自分の挑戦をコンテンツにしたYouTuberすけ兄さん

    脊髄損傷を負って8年目、現在YouTuberの活動をしている27歳のすけ兄と言います。

    YouTubeでは、障がいのことや、普段の生活、自分の挑戦を公開しています。

    目次

    • 病気について
    • 前向きになるまでの期間
    • 現在の活動
    • 頑張るためのモチベーション
    • YouTube活動を始めたきっかけ
    • 今後の野望
    • 同じ障がいを負った方に向けたメッセージ

    病気・発症時の様子

    病気について

    脊髄損傷というのは、

    ・首の骨が損傷される頚髄損傷

    ・胸の骨が損傷される胸髄損傷

    ・腰の骨が損傷される腰髄損傷

    という3つの種類があるのですが、僕の場合は首の骨を損傷してしまいまして、一時は寝たきりの状態でした。

    医者の方から一生車椅子生活を宣告されていたのですが、自分の中では納得がいかず、絶対に歩けるようになるという思いを持ってリハビリを頑張った結果、今は歩いて生活できるようになりました。

    発症時の様子

    19歳の時に友人が運転していた車が道路の中央部にぶつかって交通事故を起こし、衝撃で頭が前に出てシートベルトが首にひっかかって損傷してしまいました。

    前向きになるまでの期間

    自分で出来る事はやろうと思っていたので、周りから見ると前向きに見えていたかもしれません。

    でも、本当の意味で前向きになれたのは、YouTube活動を始めたタイミングなので、受傷から5年かかっています。

    現在の活動

    YouTubeで自分の挑戦をコンテンツにしていて、元々は一生車椅子生活になると医者から宣告を受けていたのですが、納得がいかず、絶対に歩けるようになると決めて、実際に歩けるようになりました。

    今は歩ける状態からもっとよくするために日々頑張っています。

    その中の一つにホームランプロジェクトというものがあります。

    元々野球部に所属していて、プロ野球選手を目指していました。

    ですが、19歳の時に事故に遭ってプロ野球選手になるということを断念することになりました。

    障がいを負った時、野球をしている人を見ると羨ましいや悔しいといった感情が湧いてきて、野球に向き合うことが出来なかった時期がありました。

    しかし、今まで自分なりに出来る事はやってきて前向きになった今だからこそ、次は野球に挑戦しようと思いました。

    頑張るためのモチベーション

    はじめは劣等感です。

    プロ野球選手になる道を断たれたという悔しい気持ちの中、自分が寝たきりになって入院していた間に周りの友達は人生や学校生活を楽しんでいたり、夢に向かって頑張っていたりという風に前に向かっていると比べてしまい、劣等感が大きくなりました。

    野球をしていた時に浴びた周りの声援や周りから応援してもらった思い出が忘れられず、このまま死ぬのは後悔が残ると思い、今頑張ったらもしかしたらよくなるかもしれないという希望を込めて歩くことが出来るようになろうと決めました。

    YouTube活動を始めたきっかけ

    受傷した時の自分がこういう人がいたらいいなということをずっとやってきています。YouTubeでも赤裸々なことを話していたり、障がいに対しても正直に話しています。

    障がいを抱えながらでもチャレンジをし続けたいなと思いましたし、自分自身、挑戦し続けている人のことをカッコいいなと思って、自分で自分のことをカッコいいと思える人生を送りたいと思いYouTube活動を始めました。

    今後の野望

    2つ野望があります。

    1つはインフルエンサー活動として「すけ兄」を有名にしていくことで、同じ脊髄損傷を負った方や人生に悩んでいる方で、やりたいことがあるけど一歩踏み出せない人にとっての希望になりたいです。

    もう1つはフィットネスジムを作るということです。

    歩く時に筋肉に刺激を入れてくれる機械や、自分がこれまで体験した中でいいなと思った機械を集めたセレクトフィットネスジムをイメージしています。

    対象は肩こり、腰痛など、身体に不調を抱えた人達に向けたジムになっています。

    勿論健康意識が高い人、病院に行く前に予防からしっかりしたい人にとってもあったらいいなを叶える場所にしたいです。

    同じ障がいを負った方に向けたメッセージ

    素直に思った夢に対してどれだけ素直になれるかということを大事にしてほしいです。

    自分自身、生死を彷徨う経験をしました。

    その経験を経て、人生は一回しか無いので、人から何言われようが最後は自分の責任だと思うので、後悔の無い人生を送ってほしいです。

    脊髄損傷を負って入院していた当時の自分に声をかけるとしたら同じことを言いたいと思います。

  • 就労移行支援って?A型B型の違いについて解説

    就労移行支援って?A型B型の違いについて解説

    本記事では、「就労移行支援」という言葉について解説します。
    就労移行支援は、労働力市場への参加を支援するプログラムであり、A型とB型の2つのタイプがあります。
    それぞれの特徴やメリット、デメリットについて説明します。

    目次

    •  就労移行支援とは
    • A型就労移行支援とは
    • B型就労移行支援とは
    • 就労移行支援の選択基準
    • まとめ

    就労移行支援とは

    就労移行支援とは、労働市場への再参入や再就職を支援するためのプログラムです。

    この支援プログラムは、仕事に関するスキルや知識を身につける機会を提供し、個々の能力やニーズに応じた支援を行います。

    さまざまな背景や条件を持つ人々が、自立した働き方を実現するための手助けを受けることができます。

     就労移行支援の重要性

    就労移行支援は、社会的包摂や経済的な自立を促進する上で重要な役割を果たしています。

    失業や離職などの状況に直面した人々が、早期に再就職や再参入するための支援を受けることで、自己実現や生活の安定を図ることができます。

    また、社会全体の雇用促進や経済成長にも寄与します。

    A型就労移行支援とは

    A型就労移行支援の特徴

    A型就労移行支援は、職業訓練やスキルアップのプログラムを中心に行われる支援です。

    このタイプの支援では、個々の能力や希望に基づいて、適切な職業訓練コースや教育プログラムが提供されます。

    また、カウンセリングやアドバイスを通じて、個人のニーズやキャリアゴールに合わせた支援も行われます。

    A型就労移行支援のメリット

    A型就労移行支援のメリットはいくつかあります。

    まず第一に、職業訓練やスキルアップの機会が提供されるため、新しい職種や業界に挑戦することができます。

    また、専門的な知識や技術を身につけることで、就職先での競争力が向上します。

    さらに、就労支援の専門家からのアドバイスやサポートを受けることで、自信を持って就職活動を進めることができます。

    A型就労移行支援のデメリット

    一方で、A型就労移行支援にはいくつかのデメリットも考慮しなければなりません。

    まず、一部の職業訓練プログラムには費用がかかる場合があります。

    また、転職やキャリアチェンジに伴う不安やストレスもあるかもしれません。

    さらに、一部の人にとっては、長期間の職業訓練や学習が難しい場合もあります。

    B型就労移行支援とは

    B型就労移行支援の特徴

    B型就労移行支援は、直接的な職業訓練よりも、個々の能力や状況に応じた支援を提供するプログラムです。

    このタイプの支援では、カウンセリングやコーチング、就職先とのマッチングなどが行われます。

    個人の強みや興味に基づいて、最適な職場環境を見つけるための支援が重視されます。

     B型就労移行支援のメリット

    B型就労移行支援のメリットもあります。

    まず第一に、個々の能力や興味に合わせた職場環境を提案することで、より適切な職場での働き方が可能になります。

    また、カウンセリングやコーチングを通じて、自己理解や自己成長の機会も得ることができます。

    さらに、就職先とのマッチングが行われるため、より長期的な雇用の安定を図ることができます。

    B型就労移行支援のデメリット

    一方で、B型就労移行支援にもデメリットが存在します。

    まず、直接的な職業訓練が行われないため、一部の人にとってはスキルアップの機会が限られるかもしれません。

    また、個人の希望に完全にマッチした職場が見つからない場合もあります。

    さらに、支援を受けながら就労を開始するため、初めの段階での不安や調整が必要となるかもしれません。

    就労移行支援の選択基準

    就労移行支援を選ぶ際には、以下の基準を考慮すると良いでしょう。

    ・自身の能力や興味に合った支援プログラムが提供されているか

    ・就職先とのマッチングが行われるかどうか

    ・費用や期間、場所などの条件が適切かどうか

    ・カウンセリングやアドバイスなどのサポートが充実しているかどうか

    これらの基準を考慮し、自身の目標やニーズに合った就労移行支援を選ぶことが重要です。また、実際に利用する前に、他の利用者の口コミや評判を調べることも有益です。

    まとめ

    本記事では、就労移行支援について解説しました。

    就労移行支援は、労働力市場への再参入や再就職を支援するプログラムであり、A型とB型の2つのタイプがあります。

    A型は職業訓練やスキルアップに重点が置かれ、B型は個々の能力や状況に合わせた支援が行われます。

    適切な就労移行支援を選ぶためには、自身の目標やニーズ、支援プログラムの特徴などを考慮することが重要です。

    よくある質問

    Q: 就労移行支援の費用はかかりますか?

    A: A型就労移行支援では一部の職業訓練プログラムに費用がかかる場合がありますが、B型就労移行支援は無料または低コストで利用できることが多いです。

    Q: 就労移行支援の期間はどれくらいですか?

    A: 就労移行支援の期間は個人の状況やプログラムによって異なります。一部のプログラムは数週間から数ヶ月程度の短期間で提供される場合もあります。

    Q: 就労移行支援を利用するためにはどのような条件がありますか?

    A: 就労移行支援の利用条件はプログラムによって異なりますが、一般的には失業や離職状態にあることや労働困難な状況が条件とされています。

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  • 障がい者教育機関の種類と特徴

    障がい者教育機関の種類と特徴

    あなたは、障がい者教育機関の種類を知っていますか?
    この記事では、その種類と特徴について詳しく説明します。
    日本では主に、特別支援学校、障害者総合支援校、特別支援教育センターの3つの種類が存在します。

    目次

    • 特別支援教育センターの3つの種類
    • 障害者総合支援校
    • 特別支援教育センター
    • 今後の展望

    特別支援教育センターの3つの種類

    特別支援学校

    特別支援学校は、障害のある生徒が学ぶための学校です。

    これらの学校は、生徒が学術的なスキルを習得するだけでなく、社会的、個人的スキルや生活スキルを習得することを目指しています。

    特別支援学校は、視覚、聴覚、身体、知的、行動、多重の障害がある生徒を対象としています。

     

    特別支援学校では、各生徒のニーズと能力に合わせた個別化された教育プログラムが提供されます。

    これらのプログラムは、生徒が自立した生活を送ることができるように、生活スキルの習得を強調しています。

    また、特別支援学校では、生徒が自己表現、コミュニケーション、問題解決などの重要なスキルを習得できるように、多様な教育手法が使用されます。

     

    特別支援学校の目標は、生徒が社会の一員として機能できるように支援することです。

    そのため、教育は学術的なスキルだけでなく、自己決定、自己主張、そして自己認識といったスキルを育むことにも重点を置いています。

    これらのスキルは、生徒が自分の人生を自分でコントロールし、自分の意思を表現するのに役立ちます。

     

    特別支援学校は、障害のある生徒が最高の教育を受けられるように、教育者、専門家、そして家族と協力しながら生徒を支援します。

    その結果、生徒は自信を持って学び、成長し、そして自己実現を達成することができます。

    障害者総合支援校

    障害者総合支援校は、障害を持つ人々に広範で具体的なカリキュラムを提供する教育機関です。

    これらの学校は、生徒が社会的な活動に参加するためのスキルを習得できるように設計されています。

    対象となる障害の種類は多岐にわたり、視覚障害、聴覚障害、身体障害、知的障害、発達障害など、多種多様な生徒が学びます。

     

    障害者総合支援校のカリキュラムは、生徒一人ひとりの能力やニーズに合わせて調整されます。

    これには、基本的な学術スキルの習得から生活スキルの習得、社会参加スキルの強化までが含まれます。教育の目的は、生徒が自立した生活を送り、可能な限り自分の力で社会に参加することができるようにすることです。

     

    また、障害者総合支援校では、生徒が自分自身を理解し、自分の感情や行動を適切に管理するためのスキルを教えることも重要な目標となっています。

    これには、自己認識、自己表現、そして問題解決のための戦略が含まれます。

     

    教師は、生徒が自分の能力を最大限に引き出すことができるように、個々の生徒に対する理解を深め、それぞれの生徒に最適な教育方法を選択します。

    その結果、生徒は自己信頼と自尊心を育み、自分の可能性を最大限に引き出すことができます。

    特別支援教育センター

    特別支援教育センターは、障害を持つ生徒たちやその保護者、教師、その他のプロフェッショナルな関係者が障害者教育についての理解を深め、必要なスキルを身につけるための施設です。

     

    特別支援教育センターでは、以下のような活動が行われています。

     

    教育者へのトレーニングと支援: 教師たちは、障害を持つ生徒に対応するための特別な方法やテクニックを学びます。これには、教育計画の作成、適応教育の提供、効果的なコミュニケーションの方法などが含まれます。

     

    保護者への教育と支援: 保護者は、子どもの障害について学び、子どものニーズに適応した生活環境を整える方法、学校と協力して子どもの教育をサポートする方法などを学びます。

     

    情報提供とアドヴォカシー: センターは、障害者教育に関する最新の研究や情報を提供します。また、障害を持つ生徒やその家族の権利を保護し、社会的な意識を高めるための活動を行います。

     

    専門的な支援: 心理学者、言語療法士、作業療法士などの専門家が、個別のニーズに対応したサポートを提供します。

     

    特別支援教育センターは、障害を持つ生徒たちがより良い教育を受け、自分たちの可能性を最大限に引き出すことができるように、教育者と保護者を支援する重要な役割を果たしています。

    今後の展望

    障がい者教育の政策と戦略は、さらに統合され、個々のニーズに応じて調整されることが期待されます。

    今ある形式上の名前の枠組を超えた取り組みが増えてくるでしょう。

     

    大事なことは、障がい者当事者も、関係者も、その人生をより良くすることを意識して行くことだと思います。

     

    まずは、3種類の障がい者教育機関への理解を深め、それぞれの可能性を最大限に発揮することをおすすめします。

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  • 「ありのままで、やりたいを叶える」そのお手伝いをするのが僕のミッション。山田さん【CMT】

    「ありのままで、やりたいを叶える」そのお手伝いをするのが僕のミッション。山田さん【CMT】

    作業療法士の山田です。

    病気はシャルコー・マリー・トゥース病(「Charcot-Marie-Tooth:CMT」)という、遺伝子が原因の末梢神経の病気です。

    今、原因の遺伝子が80個ぐらい特定されているけど候補の遺伝子も合わせたらもっと実はあるって言われている病気です。

    僕はミトコンドリアがちょっとうまく機能しなくなるタイプのシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)です。

    80個ぐらい原因遺伝子があるって言っても、末梢神経が障害され手と足の麻痺が出てくることは共通の症状で、人によっては脳神経や呼吸器に障害が出てくる場合もある病気です。

    目次

    • 病気について
    • 発症について
    • 診断について
    • 実習中の苦労
    • 障害学との出会い
    • 当事者達の居場所作り
    • 今後の展望
    • 山田さんの想い「ありのままで、やりたいを叶える」
    • 同病者へのメッセージ

    病気について

    シャルコー・マリー・トゥース病(CMT)は、治療法や治療薬もない病気です。 

    Hereditary motor sensory neuropathy(HMSN)」と分類されることもあります。 

    お医者さん達もよく知られてはいますが、あんまり関心を持ってもらえないのが現状です。 

    2015年に、難病法が新しくできた時に特定疾患に入りました。 

    厚生労働省発表の発表では患者総数が6250人位です(2022/10/20現在)。 

    参考:https://www.nanbyou.or.jp/entry/3774(難病情報センター)

    1万人以下の患者数のため希少難病です。 

    患者会の代表として、厚生労働省とルールのやり取りや病気に関する陳情書(行政に関する意見や要望があるときに提出する書類)の提出をしたりしてます。

    効果的な治療法がなく長期療養が必要な病気なので、医療や福祉に頼らず患者同士がピアサポートし合える場所として患者会を運営しています。

    また、「治療法の研究開発」「適切な法や制度の整備」「より良い生活の確保」などを、患者会の代表として厚生労働省へ陳情する活動もしています。

     発症について

    僕の場合、4才位の時に何かのきっかけで発病したようです。

    初期症状で多い下垂足っていう足首が垂れ下がってしまう症状がでてました。

    スリッパ履けない、つま先立ちできない、縄跳び飛べない、平地で転んでしまうことが多かったです。

    小学校の時はシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)っていう診断がつかず、生まれつきの脳性麻痺の疑いがかけられました。

    小学校低学年の頃から、手術を受けたりとか、リハビリを受けたりとか、装具を作ったりとかっていうのが日常です。

    結局病気のことも治療方法も原因もわからなかったです。

    生まれつきの病気、生まれつきなら仕方ないかなという気持ちと、生まれつきだけど何とかしてほしいなっていう気持ちのせめぎ合いでした。

    リハビリに通っていましたが、良くはならないよとも言われました。

    30歳ぐらいで車椅子かなってもう宣告されていたので、すごい卑屈な小学生だったと思います。

    人生をもう傍観しているというか、「30歳までにいろんなことを終わらせて40歳ぐらいで死ねばいいか。」そんな行き過ぎた考え方をする小学生だった気がします。

    診断について

    確定診断がついたのがリハビリの学生のときでした。

    19歳の時に筋肉の活動を見る表面筋電図の授業があって、神経内科の先生に「それはきっとシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)だよ」って急に授業中に指摘されました

    それで紹介状書いてあげるよって言われて、同級生たちの前で診断されて結構ショックでした。

    18年ぐらいかけて、自分のことをこう受け入れてきたのに、生まれつきか、障害者と健常者の間の中途半端な存在だなとか、そういうことを思って育ってきました。

    それが、「はい、今までの18年の人生は嘘でございました」みたいに言われたわけです。

    「これ生まれつきじゃありませんよ、進行性の遺伝子の病気ですよ」って、すごいアイデンティティの崩壊っていうか、18年かけてきたものを一瞬で否定された感じがでした。

    すごいわかりやすく言うとちょっと鬱っぽくなったっていうか、「生まれつきだ」って思っていたのに「生まれつきじゃないよ」ってどういうことですか?

    自分が知っている自分はなんだろう山田隆司は山田隆司ではないのか?っていう風になって「自分がなにものなのかを明らかに出来ない状態」を体験しました。

    実習中の苦労

    実習に出ても大変で、脳卒中の人とか小児の子供たちとかを評価できなかったんです。

    作業療法士としての評価が患者の「駄目なことやできないところ探す」とか、「あなたこれができないんですよって突きつける」ように感じました。

    幼少期から「できない事を目の当たりにするの嫌だなぁ」と思っていたことを伝えなきゃいけない仕事って僕はストレスだって思いました。

    今考えると「これができないけど」、「これができますよね」っていうのが本当のリハビリなんです。

    でも学生の時は、教科書どおりの手順で評価して「できない事探し」をしていました。

    評価の先の提案まで考えられなかったです。

    身体障害は僕自身が体験しているから「もう嫌だよね」「つらいよね」「こんなこと言われたくないよね」みたいに強く共感してバイアスがかかってしまうことがたくさんありました。

    一方で、精神科の病気に関しては全然共感ができなかったのですごく客観的でした。

    人の心の動きにはすごく関心があったのでこれは冷静になれる、これだったら仕事できるなと思って精神科の領域の作業療法士を目指した。

    障害学との出会い

    小さい頃からリハビリを受けてきて強く感じるのは、日本のリハビリテーションの現場が「機能を回復させる」「健康で元気になる」ことが最優先で、そのために「個人を変容させる」ことを選択する『障害の医学(医療)モデル』の思考が強いということです。

    「生まれつきの身体なのにどうしてみんなと同じ身体を目指すの?」とか、「ルールや仕組みをちょっと工夫すればみんなと一緒に体育や遠足に参加できるのにな」とか。

    「生きづらさの原因は自分の身体に障害があるせいなのか!?」「自分が努力して周りに合わせていかないといけないのか!?」と、ずっとモヤモヤしていました。

    ある時、「障害学」に触れる機会がありました。

    その中で、障害は「個人」ではなく「社会」の側にあるのだという『障害の社会モデル』の考え方を知ったのです。

    「生きづらさの原因は自分の身体の障害のせいじゃなくて、社会や環境が作り出しているんだ!!」と、今までのモヤモヤが晴れていくことを感じました。

    その後しばらくして、障害学や社会学を研究している作業療法士の研究対象に選んでもらえました。

    自分の小さい頃からのネガティブな体験が研究の役に立つ。

    その研究の成果が、当事者や支援者にとって有益なものになる。

    「自分のように、障害がある当事者で作業療法士などの支援者をしている人たちは、どんな社会的な役割を担えるだろう?」、ひとつの興味関心が沸き上がるのを感じました。

    そして『当事者セラピスト』という言葉を造語しました。

    リハビリを受ける側(当事者)とリハビリをする側(セラピスト)の2つの視座を持つ存在です。

    • どんな役割があるだろう?
    • 何か活かせることはないか?
    • 特徴はあるだろうか?

    これらの疑問を解決したくなって、34歳の時に大学にもう1回入りなおしました。

    障害学を研究するグループに入ったり、当事者セラピストに関する研究にもかかわるようになっていきました。

    当事者達の居場所作り

    19歳の診断の直後にインターネットコミュニティを作りました。

    理由としては、

    • インターネットでシャルコー・マリー・トゥース病(MCT)の情報が少なかった。
    • お医者さんすら知らなかった。
    • 他の当事者に会えなかった

    っていうこの3つですよ。

    僕、すごく孤独だったし、患者いないから、インターネット上で呼びかけちゃえってというのがきっかけです。

    8年位いろんな準備をして、やっと立ち上がったって感じです。

    シャルコー・マリー・トゥース病の研究班と同時設立みたいな感じでした。

    集まれば集まるほど情報が得られるし、研究班は研究費を厚労省からもらいたいから患者会の情報が必要だったし、当時は珍しいwin-winの患者会でしした。

    全国的にもシャルコー・マリー・トゥース病(CMT)の患者会がなかったので結構注目されました。
    「シャルコー・マリー・トゥース病の当事者で作業療法士の若いのがおるぞ」みたいな感じで研究とかロボットスーツの開発に呼ばれたり、あとは作業療法士として学会発表する前に患者として学会発表しました。

    患者会の活動ってどんなことをするんですか?

    メインは交流と情報交換です。

    必要があれば国に対してのアクションをとる。

    当初から「ロビー活動とか、署名活動はうちはやらない。とにかく交流をメインにする」って言ってインターネットで始めました。

    今会員が300人くらいです。6500人中の300人位だから、結構、組織率としては良いと思います。

    今後の展望

    今後やりたいことってありますか?

    僕、キャンプ場を作りたいですよね。「ユニバーサルでバリチョイのキャンプ場のオーナーになりたい」が僕の夢です。

    「バリチョイ」ってなんですか?

    僕の造語ですけど、「バリアフリー」は浸透しています。

    また、リハビリの業界では「バリアアリー」って言葉もあります。

    バリアを残そうって意味です。

    僕の「バリチョイ」は、ちょいと残そうってことです

    ただバリアがあるのではなくて、バリアがちょっとある。

    このちょっとあるバリアも、その作戦というか意図があって、あえて残しているバリアなんです。

    このバリチョイには、いろんな意味付けがあって、

    ①バリアはあえてチョイと残している状況。

    ②どんな解決方法をチョイスしましょうか。

    ③解決出来たらこんなのちょちょいのチョイだね

    っていう意味があります。

    バリアフリーを目指すとバリアがない生活で、逆に身体機能が落ちます。

    バリアアリーって言ってわざと階段を残すことで、機能を落とさないっていう、リハビリをしているデイサービスありますが、バリチョイは、何がやりたい、どうしたい、どこの障害をどういうふうに料理したいみたいに、本人の主体性を大事にしています。

    この言葉のいいところは子供に入りやすいところです。

    車椅子の子たちは、「何かキャンプ場でバリチョイだから、でこぼこタイヤが滑るんだよね」とか。「うちのお父さん全然火が着けられない。それもバリチョイだよね」とか。

    実際に車椅子の子たちと一緒にキャンプしたりしています。

    僕もキャンプ場へ車椅子で行くことがあります。

    自然の中のバリアってさ、ちょっと楽しめちゃうじゃん?だから自分たちが街中で感じてるバリアも楽しめないかな?みたいな意識って大切です。

    自然の中だったらデコボコなんてむしろ全然バリアじゃなくない?おもしろくない?みたいな発想の当事者は結構います。

    コロナが始まるまでは、バリチョイキャンプは年に1、2回はやっています。

    シャルコー・マリー・トゥース病(CMT)の患者家族と一緒にキャンプに行って、バリチョイ楽しんじゃおうみたいなのも、これも1年に1回から2回ぐらい、コロナ前まではずっとやっていて看護学生さんとかが参加してくれていました。 

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    山田さんの思い「ありのままで、やりたいを叶える」

    別にお金がほしいと思っていないので事業としてやらないようにしています。

    僕が15年前位に言っていたことを最近は他で実現してくれる人がいて、他でやってくれるなら別に僕がやらなくてもいいし、手柄ほしいってわけでもないので乗っかればいいかなって位のスタンスで考えています。

    障害者と言われている人たちのそのネガティブなところはもちろん大切に受け止めなくてはいけないんだけど、それよりも何かポジティブなエネルギーを持っている人たちをきちんと大切に考えていきたいなっていうのが僕のコンセプトで僕のミッションだと思っています。

    社会モデルの話を先ほどしましたが、個人の抱える障害がリハビリとかで変われる人と変われない人がいますよ。

    生まれつきの麻痺がある子どもや難病の患者さんたちにとって機能回復を強く求めることは難しいし、僕も進行性の病気で全然元通りにはならないんだけど、そういう状態でもやりたいが叶えられるってもうすごく最強じゃないだと思ってます。

    だから「ありのままで、やりたいを叶える」って大事なことだと思っています。

    リハビリの機能回復の仕事も好きだけど、機能回復しなくてもやりたいことができるっていうのが僕の理想なのでそのためには何でもやろうかなって思っています。

    同病者へのメッセージ

    自分の体験が誰かにとってもすごく大切な情報になることがきっとあるので、今はしんどいかもしれないけど自分の体験を誰かに伝えてほしいなと思います。

    自分の体験が誰かのためになる、誰かの体験が自分のためになるっていうことを意識してもらえると「ちょっと生きやすくなるかもしれないな」って思います。

    「ピアサポート」が大切なんだと感じます。

    CMT病はなかなか治療法が確立しないしリハビリもエビデンスが乏しいし、社会制度からも漏れがちで認知度も低い病気です。

    それでも確実に治療研究は進んでいるしエビデンスも集まってきている。

    なにより、支援者と当事者たちが協働して、「生きづらさを解消しよう」「より良い生活ができるようにしよう」と前に進んでいます。

    あわてず、あせらず、あきらめず・・・情報を集め、繋がっていきましょう。

    山田さんのちょっと自慢話を!

    最後に一個自慢していいですか?「パーフェクトワールド」って漫画ご存じですか?

    映画版は岩田剛典さんが主演で、テレビ版は松坂桃李さんが主演なんですけど、原作マンガの取材協力しているんですよね。

    障害者の恋愛の話だったので山田さんが若い頃の恋愛の話とか結婚の話、教えてくださいということで、あの漫画の中に僕の結婚のエピソードとかがちょいちょい入ってるらしいんです。

    DVD買います!今日はありがとうございました。

  • 障がい者スポーツの参加方法とは?スポーツの種類も紹介

    障がい者スポーツの参加方法とは?スポーツの種類も紹介

    障がい者スポーツは、障がいを持つ人々がスポーツに参加することを可能にするために設計されたスポーツのことです。この記事では、障がい者スポーツに参加する方法や、参加できるスポーツの種類について説明します。

    目次

    • 障がい者スポーツに参加する方法
    • 知ってる?まだまだ知ってほしい公式パラリンピック認定協議
    • まとめ

    障がい者スポーツに参加する方法

    種類に応じた参加方法

    障がい者スポーツには、車椅子を使用する人、視覚障害を持つ人、聴覚障害を持つ人など、さまざまな障がいを持つ人々が参加しています。

    そのため、参加方法はスポーツの種類によって異なります。

    たとえば、車椅子バスケットボールでは、車椅子を使ってプレイするため、車椅子を借りる必要があります。

    障がい者スポーツのチームに参加する

    障がい者スポーツのチームに参加することもできます。これらのチームには、同じ障がいを持つ人々が参加しています。障がい者スポーツのチームに参加することで、自分と同じような人々とスポーツを楽しむことができます。

    ボランティアとして参加する

    障がい者スポーツの大会やイベントでは、ボランティアとして参加することもできます。

    ボランティアとして参加することで、障がいを持つ人々のサポートをすることができます。

    また、障がい者スポーツについての知識を深めることができます。

    障がい者スポーツの種類

    ・車椅子バスケットボール

    車椅子バスケットボールは、車椅子を使ってプレイするバスケットボールです。車椅子バスケットボールは、オリンピックの公式競技にもなっています。

    ・陸上競技

    陸上競技は、車椅子を使って走る競技や、義足を使って走る競技など、障がいを持つ人々が参加できる種目もあります。

    ・水泳

    水泳は、障がいを持つ人々が参加しやすい競技の一つです。車椅子を使ってプールサイドに移動する方法や、プール内での移動方法については、競技によって異なります。

    もちろんこの様なメジャーな競技もありますが、まだまだ認知度の低い協議も沢山存在します。

    知ってる?まだまだ知ってほしい公式パラリンピック認定協議

    ・ボッチャ

    ボッチャは、身体障害を持つ人々がプレイするスポーツの一つで、小さなボールに向かって自分のボールを投げ、最も近づけた選手が勝ちとなる競技です。

    車いすに座った選手もプレイすることができます。

    ボッチャのコートは、幅6m、長さ12mで、コートには中央線が引かれています。競技には、小さなボール(ジャック)と、それぞれの選手が投げる自分のボールが使用されます。選手は、ジャックに向かってボールを投げ、最もジャックに近づいた選手が勝ちとなります。

    ・ゴールボール

    ゴールボールは、視覚障害を持つ人々がプレイする競技で、ボールを相手チームのゴールに転がすことで得点を競います。

    3人1チームで行われ、試合時間は2期間あり、それぞれ12分間です。

    ゴールボールは、盲目や視覚障害のある人々が競技に参加できるスポーツです。

    選手は目隠しをしてプレイします。試合は、円形のコートで行われます。

    コートは、幅9m、長さ18mで、中央にゴールがあります。

    ゴールボールのボールは、直径24cm、重さ1.25kgで、中に鈴が入っています。

    試合中は、選手たちは相手チームのゴールを目指してボールを転がします。

    相手チームは、ボールが転がってくる音を聞いて、防御を行います。

    ボールが相手チームのゴールに入った場合、得点となります。

    ・バイアスロン

    バイアスロンは、スキーと射撃を組み合わせたウィンタースポーツの一つです。選手は、スキーを履いてコースを走り、途中で射撃を行います。射撃では、立ち射と横腹射があり、的に向かって銃を発射します。

    バイアスロンは、オリンピックでも正式競技として採用されており、多くの人々に親しまれています。競技は、個人戦や団体戦などがあり、さまざまな種目が行われます。

    紹介した公式競技はほんの一部です。

    まだまだ気になる方は、下記参考記事を御覧ください。

    参考:https://www.2020games.metro.tokyo.lg.jp/taikaijyunbi/tellme/paralympics/index.html

    参考:https://www.parasapo.tokyo/sports

    まとめ

    障がい者スポーツには、多くの参加方法があります。障がいの種類やレベルに合わせたスポーツを選ぶことが大切です。

    障がい者スポーツは、身体的な健康や社会的なつながりを促進する上で重要な役割を果たしています。

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