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私だからできる作業療法士を目指して:エーラス・ダンロス症候群

500人に1人に発症するといわれる、エーラス・ダンロス症候群という希少難病と向き合いながら、作業療法士(OT)として活躍する岩田あやささん。今回は、病気との向き合い方やOTの仕事観、そして、今後の目標や夢についてお話を伺いました。
目次
- エーラス・ダンロス症候群とは?
- 岩田さんの症状について
- 作業療法士を目指したきっかけ
- 私にしかできない作業療法士の在り方
エーラス・ダンロス症候群とは?
エーラス・ダンロス症候群は、体内でコラーゲンを生成する遺伝子に異常が起きる遺伝性疾患です。
この病気は、コラーゲンは体の結合組織を形成する重要なタンパク質ですが、このタンパク質の異常により、体のさまざまな部分に症状が生じます。
日本では指定難病になっており、約5000人に1人の割合で発症すると考えられています。
一般的な症状は、皮膚が脆くなってしまうことや関節が脱臼しやすくなってしまうこと、立ちくらみや動悸、便秘や下痢を繰り返すなど、人により個人差がありますが、その症状は多様といわれています。
まだまだ日本では症例数が少ないことや診療が進んでおらず、研究が急がれています。
岩田さんの症状について
私の症状も一般的な症状と同様に関節・自律神経・消化器などさまざまです。
まず、関節の症状が顕著に現れており、関節がほかの人より緩くなっています。そのため、捻挫や脱臼を起こしやすく、これまでに肩・膝・指・足首など、さまざまな関節の脱臼を経験してきました。
自律神経の症状では、低血圧による貧血症状や下痢と便秘を繰り返す消化器系の症状もあります。長時間立った状態でいると低血圧を起こして、倒れてしまうこともありました。
下痢と便秘を繰り返す消化器症状もあり、長時間座っていられないなど、生活に支障をきたすこともありました。
さらに、血管が脆いことも特徴のひとつです。血管が脆いため、痣ができやすかったり、出血しやすかったりします。
現在も、さまざまな症状と日々向き合いながら過ごしています。
日常生活での工夫
エーラス・ダンロス症候群の最も大きな特徴の一つは、全身の関節の痛みです。
体の関節が緩いため、筋肉で緩みを補おうとする性質があり、常に筋肉痛のような状態が続いています。私の場合、不足しているコラーゲンは補えず痛みを和らげるために、痛み止めを服用しています。
また、日常生活ではいろいろな工夫をしながら過ごしています。
普段は電動車椅子を使っていますが、仕事の際は装具を装用し、業務にあたっています。また、手の指の関節も柔らかいため、専用の装具を付けて脱臼を予防するようにしています。
脱臼を引き起こしてしまうことが多いため、自分で脱臼を戻すこともありますね。
ほかにも、嚥下障害(食べ物をうまく飲み込むことが難しい障害)もあり、食べ物や水分でむせてしまうことがあります。食事の際は、一気に飲み込まないように、少しずつ飲み込むことを意識しながら食事をするようにしています。場合によっては、食事の形を変えることもありますね。
作業療法士を目指したきっかけ
OTを目指す前は、父親の影響で獣医師を目指していました。しかし、動物アレルギーがあったことから断念しました。
それでも、誰かの「手助けをしたい」という気持ちは変わらなかったため、動物ではなく人に貢献する仕事をしたいと考え、18歳で看護学校に入学しました。
しかし、19歳のときに手首の関節の手術をしました。その後も体の関節の手術を繰り返し、「この手でなにができるのか?」と思い悩む日もあり、落ち込む毎日でした。落ち込んだ末、一度は専門学校を辞めてしまったんです。
手術後は、手の関節を良くするためにリハビリテーションを受けていました。実際に自身がリハビリテーションを続けていくなかで、少しずつできることが増えていく喜びを感じ始めた感覚を今でも思えています。
いつしか「この喜びを多くの人へ伝えたい。」「この喜びを創りたい!」という想いが芽生え始めたんです。
自身の経験が、作業療法士を目指すきっかけになり、もう一度、夢を目指して専門学校に入学することとなりました。
そして、私はOTになる夢を叶えることができました。
私にしかできない作業療法士の在り方
23歳で専門学校を卒業した私は、何度か転職を経験しました。
手術が必要となり休職と退職をせざるを得なくなり、辛い経験もしましたが、現在もOTとして働いています。
患者の立場を経験したことは、私のOTとしての考え方に良い影響をもたらしてくれています。
私自身が患者の立場であるため、患者さんの気持ちがよく分かります。これは私が当事者であり、医療職に勤めるための強みだと思っています。
当事者である私だからこそ、看護師やOTの目線だけでなく、患者の目線や気持ちや想いにも寄り添いながら、リハビリテーションに向き合うことができるのではないかと考えています。
今後の目標
エーラス・ダンロス病は、進行性の疾患のため、最終的には体が動かしづらくなる可能性があります。もし、今後身体が動かしづらくなったとしても、私はOTとして働きたいです。
例えば、オンラインで日常生活を観察・評価し、相談役としてサポートすることもできるのではないかと考えています。直接、現場で患者さんに治療するだけではなく、在宅でOTとして働ける可能性を広げていきたいですね。
今後の目標は、在宅でOTとして患者さんの治療や相談役にあたり、新しいOTの活躍の場を広げていくことです。
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装着型サイボーグHALを使ったリハビリ実施・新潟病院

現在、独立行政法人国立病院機構 新潟病院にて、サイバーダイン社のサポートによる 「HAL」のリハビリテーション評価に関する観察研究に参加する患者さんの募集をしているので、詳細をお知らせします。(2024/08/20現在 募集終了)
HALとはなにか?
HALはハイブリッド・アシスティブ・リムの略称です。人の意思を反映した生体電位信号に基づいて、意志にしたがって人と一体化しながら機能する装着型サイボーグとして、2004年に設立されたCYBERDYNE(サイバーダイン)社の創業者である山海嘉之教授が、開発しました。
HALの適用分野は、治療やトレーニングなど多岐にわたります。
また、介護や福祉分野では、高齢者や障害者の自立支援や介護の補助に活用されており、労働力の強化やスポーツ分野でも利用されています。
*この観察研究の正式課題名は「脳卒中による歩行障害を有する非急性期脳卒中患者に対する生体電位等で随意コントロールされた 下肢装型補助ロボット(HAL自立支援用下肢タイプ)によるリハビリテーションの安全性と有効性に関する観察研究(SH-1002 試験)」 であり、病院の倫理委員会での承認後、国の臨床研究等提出・公開システムで臨床研究実施計画番号が登録されています。
HALの種類
●医療用HAL下肢タイプ
神経・筋難病に指定される10疾患(脊髄性筋萎縮症,球脊髄性筋萎縮症,筋萎縮性側索硬化症,シャルコー・マリー・トゥース病,遠位型ミオパチー,封入体筋炎,先天性ミオパチー,筋ジストロフィー,HTLV-1関連脊髄症,遺伝性痙性対麻痺)を対象にした医療機器です。自分の意思に合わせて下肢の運動をアシストするような歩行運動処置のために使用されます。
●医療用HAL単関節タイプ
脳血管疾患などのリハビリテーションの際に、運動量を増やすために使用できる医療機器です。自分の意思に合わせて腕や足の関節の集中的なリハビリテーションをアシストします。
●自立支援用HAL下肢タイプ
自分の意思に合わせて下肢の運動をアシストします。
●自立支援用HAL単関節タイプ
自分の意思に合わせて腕や足の関節の集中的なトレーニングをアシストします。
●HAL腰タイプ
介護する側と介護される側それぞれの用途で活用できます。
介護者の腰部の負荷軽減や、自分の意思に合わせて体幹運動をサポートすることで、要介護者日常生活の自立をサポートすることを目的としています。
なお、本観察研究で使用されるHALはHAL自立支援用下肢タイプで、医療機器ではありません
研究について

今回は、脳卒中後の慢性期に対する方が対象 歩行障害のある慢性期脳卒中患者さんに、診療担当医の判断により、歩行運動療法を30分~40分/日を30日間(実日数)実施し、前後とその間に、脳卒中臨床評価(歩行機能等)を おこなう観察研究 に参加する患者さんを募集しています。
歩行運動療法として、脳卒中に対する通常の歩行運動療法とHAL自立支援下肢タイプを使用した歩行運動療法を参加者全員に行います。
また、必要とされる、歩行運動療法以外の理学療法、作業療法と言語聴覚療法も同時に行います。
参加要件
・脳卒中を発症後、4週間以上経過している方(発症から180日以上経過されている方も含む)
・満18歳以上の方(年齢上限無し)で文書による同意能力がある方(代筆文書同意も可)。
・脳卒中による歩行障害のため、杖、歩行器などを使わず、つかまらず、10mを安全に自立歩行できない患者で、軽介助があるか、 つかまるか、杖や歩行器又は移動型ホイストを使うことで、10m以上歩行が可能な方(下肢補装具は必要時使用可)。
・研究期間中は研究実施スケジュール(約8週)に沿ったリハビリ入院が可能な方。
―――以下に該当する方は参加できません―――
・以前、HALの下肢タイプを装着して歩行訓練をした方。
・体重40~100kg、身長150~190cmの範囲を超えている方。
・歩行訓練や歩行評価ができないような労作時呼吸困難、心不全、不整脈、心筋梗塞、認知症、高次脳機能障害等がある方。
・変形性股関節症、変形性膝関節症、コントロール不良の関節リウマチ、変形性脊椎症および脊柱管狭窄症、側弯症等の骨格系の変形が高度であり、 歩行訓練が困難又は歩行訓練により症状が悪化すると判断される方。
・脳卒中による歩行障害以外の脳、脊髄、末梢神経、筋の疾患で歩行障害をきたした患者。歩行訓練上問題となる出血傾向や骨粗鬆症等の合併症がある方。状が悪化すると判断される方。
・根治していない悪性腫瘍がある方。心臓ペースメーカ等、体内植込み型の能動医療機器や電子装置を使用している方。HALを装着できない疾患 (皮膚疾患など)がある方。内容詳細
場所: 独立行政法人国立病院機構 新潟病院
内容:歩行障害のある慢性期脳卒中患者さんに装置装着前後の歩行機能の観察を行う
費用:通常の保険診療としての患者負担のみ。追加負担はありません。
人数:若干名
*現行の診療報酬制度を上回るリハビリテーション内容や単位が生じた場合であっても、病院側の判断と負担でリハビリを実施するため、 患者の自己負担は通常通りで追加の費用請求はされません。
お問い合わせ先:独立行政法人国立病院機構 新潟病院 治験管理室 (2024/08/20 現在、募集終了)
TEL:0257-22-2126 (平日9時~17時)
最後に
より良い医療の発展のため、多くの患者さんに観察研究にご協力をいただくことが必要です。
本案内を見て、この研究にご協力いただける場合は、上記の「お問い合わせ先」までご連絡ください。
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再び2本の足で立って歩く。どいみゆきさん【複合性局所疼痛症候群(CRPS)】

今回は、複合性局所疼痛症候群(CRPS)と診断され、完治を目指してリハビリを続けている土井さんにお話を伺いました。
目次
- きっかけは試合中の負傷
- 複合性局所疼痛症候群(CRPS)の診断
- 体育教師として働きながらの治療
- 治療に専念するため退職
- 「根治」を目指したい
- 現状
- 今の目標
きっかけは試合中の負傷
2011年4月、ソフトボールの試合中、内野ゴロを打って1塁に走ったときに、右足首を負傷。病院でギプスでの固定を勧められましたが、2日後に試合があったため、サポーターを使用して出場しました。
その後も7月まで国体などの大会が続いたため、治療をしながら出場を続けました。
8月になり、怪我の治りが遅いということで専門医を受診したところ、靭帯を断裂していて、手術をするしかないと言われました。1回目の手術は11月でした。
ところが、術後の経過が良くなかったんです。3週間ギプス固定した後、しばらくしても痛くて、なかなか荷重をかけられる状態にならなかったんです。
翌年の4月から始まるリーグ戦に出たかったので、やれることはやっていたのですが。
今思い返せば、CRPS(複合性局所疼痛症候群)の症状が出始めていたのではないかと思います。
結局4月に復帰することは出来なかったです。右足は腫れていて、痛くて走れなかったですし、歩くのも少し辛い感じでした。その頃は本当にもがいていましたね。
春の復帰は諦めて、秋に向けて頑張ってリハビリを続けました。通常の運動機能のリハビリをやっていました。
それでも症状は全く良くならなかったんです。それで、12月に患部を再度開いて確認することになりました。医師も異変を感じていたんでしょう。これが2回目の手術でした。
術後、来年こそはと4月の復帰を目指していたのですが、間に合いませんでした。
そして、秋のリーグが大学生活最後だったので絶対にプレーしたかったんですけど、1イニングだけなど、限定された出場しか出来なかったです。
複合性局所疼痛症候群(CRPS)の診断
2013年、完全復帰はできないまま大学でのソフトボールは引退となった11月頃、右足には痙攣などの神経症状も出てきていました。嫌なことがあると足がブルブル震えるなど、精神面から症状が出ることもありました。
自分でも明らかに怪我以外の症状があると感じ始めていて、医師もCRPSという病名をはっきり口にするようになりました。
ただ、自分としてはCRPSと言われても納得がいかなかったんです。なので、セカンドオピニオンで他の先生にも診てもらいました。
そこで、先生に言われたのは、最初の手術で靭帯をつなぐときに、靭帯が少し短くて、周りの筋肉や腱、神経を巻き込んでしまっている状態だということでした。神経は壊死していました。
その部分の癒着を剥がして分離する手術をしたとしても、元通りに治るかどうかはわからないと言われました。それでも一縷の望みを掛けて手術をすることにしました。大学卒業までもうすぐの1月に、すでに3回目の手術です。
体育教師として働きながらの治療
大学を卒業したあと、4月からは母校の高校で体育教師として働き始めました。3度目の術後の足の状態は良く、杖なども使わずにある程度は動ける状態でした。
ただ、処置が必要な箇所が複数あり、もう1度手術をすることになっていました。4回目の手術は学校の夏休みの期間である7月に受けました。3回目の手術の約半年後ですね。
その手術の後の状況が良くなかったんです。ギプスが取れた後も松葉杖がないと痛くて歩けなくなりました。夏休みが終わったあと働けるのかと不安になりましたね。
でも母校ということもあって色々配慮してもらえて、片方だけ松葉杖を持ってではありますが、復帰することができました。
治療に専念するため退職
母校では3年間働きました。
でも、教師をしていると、ソフトボール部での指導もしていたので、どうしても通院などが後回しになってしまいます。それで、治療に専念したいと思って仕事を辞めることにしました。
身体が治ればまた教師に戻れると考えていました。
そのときにはCRPSという診断が出ていましたが、自分では認められないという感情でした。治療に専念して、やれることは全部やってみないと納得できない。そういう気持ちでした。
仕事を辞めてから、しばらくは病院巡りでした。でも、どの先生も同じ診断でした。それでも諦めきれずに、また次の病院へということを続けていました。
頭にくることもありました。
まず、運動機能のリハビリは発症後または術後最長150日間しか認められないという規定があるので、そもそも受け入れてくれない病院もありました。
また、CRPSの主症状である「痛み」は検査などで数値化できるものではなく、あくまで患者自身の主観になるため、精神的な問題があるのではないかということで精神内科に回されたりすることもありました。
精神面だけで治るのであれば、とっくに治ってる!と言いたくなることが何度もありましたね。
「根治」を目指したい
もう病院巡りはせずに、ひとつの病院に通っています。今の先生が絶対に見捨てないと言ってくれたことが自分にとっては大きかったです。
あと、ドクター、理学療法士、臨床心理士などがチーム医療で診てもらっているのですが、とても信頼していて、身を委ねてるって感じです。
CRPSの治療の選択肢として脊髄刺激療法(SCS)というものがあります。
前の病院でも紹介され、試してみたりもしていました。ただ、身体に機械を入れる必要があり、簡単に後戻りできるものではないんです。しかも、あくまで緩和療法なので、根治治療を目指している自分にとっては、受け入れ難いものでした。
また、SCS は最後の選択肢という考えが自分の中にあって、今の段階でそれをやってしまうのは怖いということもありました。
しかし、2024年にSCSの機械を入れることにしました。それは今の主治医の先生が、根治を目指したいという気持ちを尊重した上で考えてくれているからです。
先生に出会えたのは幸運でした。
ずっとお世話になっていた近所のクリニックの理学療法士が、学会で自分の症例を発表してくれたんです。それを聞いた先生が興味を持ってくれたのがきっかけです。
現状
この病気の症状は人によって全然違うのですが、私の場合、右足は常に痛くて動かすことも触ることも出来ないです。振動があるだけでも痛いです。寝る時は睡眠剤を使っています。しかもその痛みは年々酷くなっているんです。
根治を目的とした治療法が確立されていないため、リハビリで回復を目指すしかないというのもこの病気の辛いところですね。
あと、CRPSは難病指定されていないんです。そのため、なかなか理解されにくかったり、認知度がとても低いという課題があります。
そのため、個人のSNSで、そして同じ病気の仲間と一緒に「ペインと。」というWebサイトとSNSでCRPSについての発信をしています。
今の目標
自分の2本の足で歩くことが今の目標です。
CRPSと診断された直後には足を切断してほしいと思っていました。それで義足で走りたいなと。ただ、この病気では切断しても症状がなくならず、義足を使えない可能性があって、出来ないと言われました。
私としては切断して、義足でパラリンピックに出てメダルを目指すという選択肢は今でも頭の片隅にあります。
しかし、今の主治医医の先生と話をすることで、自分の足で歩くという目標に切り替えることができました。
今は自分の足で立つことを目標に、リハビリを頑張っています!
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どんな状態でもチャレンジし続けたい。白石敏明さん【潰瘍性大腸炎】

今回は、北海道北斗市で農家を営む白石敏明さんにインタビューさせていただきました。
白石さんは8歳の時に潰瘍性大腸炎と診断を受け、その後に合併症である回腸嚢炎も発症しました。発症から診断までの経緯や農業への思い・今後の目標についてお話を伺いました。目次
- 自己紹介
- 発症から診断まで
- 潰瘍性大腸炎と戦う日常での不安
- 現在の活動
- 今後の目標
自己紹介
はじめまして、北海道北斗市出身の白石敏明です。私は幼少期に潰瘍性大腸炎と診断を受け、長らく病気と共に過ごしてきました。
2024年1月には回腸嚢を摘出し、現在は人工肛門を装用して過ごしています。
仕事は、実家の家業である白石農園で5代目として農家を営んでいます。
新しい価値を自分の代で生み出したいを目標に、日々いろいろなことにチャレンジをしています。

※潰瘍性大腸炎:潰瘍性大腸炎は大腸の粘膜(最も内側の層)に、びらんや潰瘍ができる大腸の炎症性疾患 です。特徴的な症状としては血便を伴うまたは伴わない下痢と、よく起こる腹痛です。病変は直腸から連続的にそして上行性(口側)に広がる性質があり、最大で直腸から結腸全体に拡がります。
参考:指定難病情報センター
※回腸嚢:潰瘍性大腸炎の手術治療では、炎症の母地となる大腸を全て取り除きます。 そして小腸の断端を15cm程折り返して袋を作ります。 これを回腸嚢(かいちょうのう)といい、術後便を貯める機能を持たせ、この回腸嚢と肛門を吻合して肛門から排便できるようにするものです。
発症から診断まで
私は、8歳のときに潰瘍性大腸炎と診断を受けました。
潰瘍性大腸炎とは、大腸の粘膜に炎症や潰瘍ができ腹痛や血便を伴う病気です。
診断までですが、あるときから腹痛や下痢をすることが多くなりました。最初のうちはストレスや成長に伴う異変かと思いましたが、痛みが一向に引かなかったため小児科を受診しました。ですが、半年間は原因が分からないとのことで不調のまま過ごしていました。
通院を繰り返すなかで、潰瘍性大腸炎と分かりすぐに入院となりました。強い炎症があったため、腸管を安静に保つために1か月間絶食。育ち盛りな9歳という年齢での絶食は本当に辛かったですね。
潰瘍性大腸炎と戦う日常での不安
中学生で大腸全摘出
潰瘍性大腸炎は薬物療法での治療が多いといわれていますが、私の場合は治療が難しいという判断で中学1年生の終わりころに大腸の全摘出の手術を受けました。
ですが、その後も症状が収まらなかったため、手術後はしばらく人工肛門を装用し過ごしていました。人工肛門に慣れるのには時間がかかり、苦労も多くありました。
回腸嚢炎との闘い
その後、人工肛門を取る手術を行いましたが、術後2週間くらい経ったときに急に高熱が出たのです。検査をしてみると、排泄部に炎症が起きる、回腸嚢炎という病気になっていることが分かりました。人工肛門を取った後に起きることとしては珍しくないようです。
しばらくして自分に合う薬も見つかり、比較的体調が安定しますが、最初は効果があってもすぐに効かなくなったりと、なかなか思い通りにはいかなかったです。
そして昨年1月、急な下血を認めたため緊急入院となりました。回腸嚢を摘出し、再び人工肛門を付ける手術を受けることを決断しました。
しかし、不思議なことに薬を飲まなくなっていた期間に、調子が良くなったのです。現在は私の希望で投薬しない状況で体調管理をさせてもらっていて、発症以来初の試みなのですが、今のところ状態良く過ごせています。
潰瘍性大腸炎と闘う日常での不安
潰瘍性大腸炎の患者の多くは、難病を抱えているようには見えませんが、調子が悪くなると、強烈な腹痛・下痢・血便などの症状が出ます。
調子が良いといっても、普通の方の生活とはやはり違い、便漏れといった排便障害もあります。そのため、トイレは1日で7回ぐらい行きます。潰瘍性大腸炎の患者のみなさんがそういうわけではないのですが、私の場合は大腸を摘出しているので、便を溜めておくことができないんです。
また、外食なども何でも食べて良いわけではないので、腸に優しい消化の良いものを選択する場合もあります。香辛料などの刺激物は避ける必要があるので、さまざまな面で神経を使っていますね。
ただ、病気になってから、一番辛いのは「恐怖と戦うこと」なんです。
何か新しいことをする場合も、私は入院してもいいという覚悟を持つようにしています。
食べ物・睡眠不足・仕事の疲労やストレス。何がきっかけで体調が悪くなるか分からないので、私生活で何をしていても常に病気のことが頭から離れません。
現在の活動
今は実家の家業である農業を営んでいます。小さい農園ではありますが、私で5代目になり、親のサポートもあって良い環境で過ごせています。
農園ではいろいろ野菜を生産しているのですが、そのなかの1つにチコリという野菜があります。最近では、チコリの根っこを乾燥させてから、焙煎し、珈琲のように飲む「チコリコーヒー」という物の商品化に取り組んでいます。
最近ブランド化に成功した神トマト・チコリコーヒーなど、これまでになかった新しい価値を自分の代で生み出したいと思い、チャレンジを続けています。
今後の目標
今後は、病気になって大腸がない状態でも農業をやっていけているということをいろいろな方法で発信していきたいと思っています。
農業を営みながら日々生活する私の姿から勇気づけられる人が少しでもいれば嬉しいです。
また、病気になってから両親にはお金も心配もかけているので、家業である白石農園で頑張ることで恩返ししたいですね。
この病気を抱えながら農業を営んでいる自分だからこそ、「食」の大切さについて強く思いを込めて伝えられると思っています。
これまでになかった新しい価値を自分の代で生み出すこと、そして、私の住んでいる北斗市の農業を盛り立て、社会貢献していくことを目標にさまざまなことにチャレンジしていけたらいいなと思います!


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心にゆとりのある生活を。長谷川梢さん【気管軟化症(EDAC)】

今回は長谷川梢さんにお話を伺いました。長谷川さんは幼少の頃から喘息の症状に悩まされていましたが、大人になってからの検査で、喘息に加え、気管軟化症(EDAC)という病気の診断をされました。診断に至るまでや、これからの目標についてインタビューをさせていただきました。
目次
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幼少時代から大学まで
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先延ばししていた検査
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診断を受けて
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今後の目標
自己紹介
初めまして、長谷川梢です。
小学校、中学校と、普通に学校に通っていました。子供の頃から肺が弱く、喘息の症状がありました。ずっとその治療をしていましたね。
ただ、特別なことはなく、他の生徒と同じように過ごしていました。体育の授業は、持久走とか、内容によっては難しかったですけど。
あと気圧の変化に弱くて、天気が悪いと体調を崩しやすく、年に何回もお休みはしていました。
それでも、他の子供とほとんど同じように学校生活を送っていました。
しかし、中学2年生のときにインフルエンザに罹ってしまってから、体調が悪くなってしまいました。
インフルエンザが直接の原因だったのか、どうかは今でも分かりませんが。
体調はよくなかったのですが、高校、大学も普通の学校に進学しました。
特に高校は、電車で通っていたのですが、少し遠くて、通学するだけで大変でした。卒業するのもギリギリという感じでした。お休みした分を自分で勉強するのは大変でしたね。
先延ばししていた検査
一般的に、大きくなって体力がついてくれば喘息の症状は治ってくる方が多いと思います。私もそうなると思っていました。
しかし、実際は、中学生、高校生になっても、改善されるどころか、むしろ悪化しているように感じました。詳しい検査をしてもいいかもしれないという話は、子供の頃から出ていました。
ただ、気管支鏡という検査が必要なのですが、この検査は結構辛いことで有名なんです。苦しいんですよね。カメラを気管や気管支に入れるんです。胃カメラを想像すると分かりやすいと思うのですが、あんな感じでカメラを肺に入れるんです。
あと、病名が分かったところで、その時すでにおこなっていた対処法と変わらないということもあって、子供の間は検査はしなくてもいいのではないかという判断をしていました。
ですので、26歳のときに気管支鏡検査を受けました。
気管軟化症という診断がされました。私の場合は、気管軟化症の典型例とは気管の潰れる場所に少し違いがあるため、厳密にはEDACという病名のようです。
生まれた時、呼吸ができなかったために人工呼吸器を使用していたのですが、挿管していた部分が成長せずに柔らかいままだったことが原因なのではないかと言われています。
子供の頃、喘息の症状が出たときに、治療をしてもなかなか良くならなかったのも、EDACがあったからだと思います。
診断を受けて
EDACは、治療方法が今のところ見つかっていない病気です。
状況によっては手術をして外科的な処置をすることも可能なようですが、リスクもあります。他の病院の先生の意見なども聞いたりした結果、手術はしないことにしました。
現状のままで、仕方ないのではないかということです。
ただ、確定診断が出たことで、呼吸器などを使えるようになりました。
それまでは発作などが起こったら、夜中でも家族に病院に連れて行ってもらって点滴を受けたりするしかなかったのですが、そこは少し改善されましたね。
また、ステロイドの使用量を減らせるようになりました。
喘息の症状はステロイドで抑えることができます。しかし、EDACは気管の構造上の問題ですので、ステロイドは効果がありません。EDACの診断が出るまでは、症状が治らないとステロイドの量を増やしたりしていたのですが、そういうことがなくなりました。
また、最近は喘息の治療を強化しています。
喘息の治療は進歩していて、毎年のように新しい薬が出ています。
今は薬を自己注射しているのですが、それが私にはあっているような気がしていますね。
SNSの発信
元々はアレルギーに関する食べ物の発信をしていました。自分もアレルギーが沢山あったので、これは食べれるとか、食べれないとか。そういう情報発信ですね。
ただ、呼吸器を使うようになってから、呼吸器を含めた生活スタイルの情報をInstagramで発信しています。
というのも、動ける人で、呼吸器を使っている人が周りにいなかったので、その生活の仕方を自分も知りたかったんです。
でも、呼吸器を使っているのは、やっぱり年配の方が多いんですよね。
だから、自分が知りたかったように、自分の生活スタイルをSNSで発信すれば、必要としてくれる人もいるかもしれないと思っています。
今後に向けて
そのような状況ですので、今は、フルリモートで出来る仕事を探しています。通勤の負担がないと楽なので。
スキルアップのためのオンラインスクール、Resta.の課程も修了しました。
遠い目標というか、夢としては「かわいいおばあちゃん」になりたいです。
そこまで長く生きたい、そして、周りの人に、かわいいと言われるような、人間的にそういう人になりたいという願望です。そのためには心に余裕が必要だと思っています。
体調も、仕事も、切羽詰まると、他人にあたってしまったり、イライラしてしまいます。
心に余裕を持つための、ひとつの選択肢として就職を考えています。
仕事をすることで経済的にも精神的にも余裕ができると思うんですよね。心にゆとりのある、かわいいおばあちゃんになりたいですね。

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失った以上のものを得る。細野翔大さん【慢性炎症性脱髄性多発神経炎】

今回は、手足の痺れ、感覚や筋力の低下、などの症状を引き起こす疾患・慢性炎症性脱髄性多発神経炎(以下CIDP)を発症。現在はパラアスリートとして活躍されている細野翔大さんにインタビューさせていただきました。
目次
- 自己紹介
- 発症から診断まで
- 思うようにいかない治療
- リハビリが転機に
- 現在の活動について
- 同病者へメッセージ
自己紹介
はじめまして、細野翔大です。群馬県在住です。
2018年にCIDPの診断を受けました。現在は上半身、下半身共に筋力や感覚の低下といった症状があります。
普段は、長距離でなければ杖を使って歩いています。握力は12kg〜15kgくらいです。パラアスリートとして活動しています。
また、企業や自治体、小中学校などで、障がい者を含むすべての人が暮らしやすい街づくりを推進するための研修を行う活動をしています。
診断までの経緯
2017年12月頃、足の痺れを感じました。それが最初に出た症状でした。
その後、痺れだけではなく、指が動かしにくい感じがしてきました。
同じ症状が足だけでなく、手にも出てきて、範囲も少しずつ広がっていきました。これはおかしいと思って、症状が出始めてから1ヶ月ほど経った頃に病院に行きました。
色々な病院をめぐったのですが、原因も病名も分からず、不安になりました。
様々な病気が疑われたので、たくさん検査も受けました。記憶に強く残っているのが、検査のために髄液を採ったときのことですね。その後遺症で10日以上頭痛に苦しみました。
特に最初の数日は座ることも出来なかったです。
食事もご飯をおにぎりにしてもらって、横になったまま無理やり食べてました。トイレにも行けなかったですね。後遺症は人によるみたいで、軽い人もいるらしいのですが、私の場合はきつかったですね。
介護の仕事をしていたのですが、この頃に退職しました。
大変な病気になってしまったという予感があったので、治療のことを考えての判断でした。結局、CIDPと診断されたのは発症から約1年後、2018年の冬頃でした。
思うようにいかない治療
CIDPと診断されて、治療を始めたのですが、期待していたような回復はできませんでした。
それどころか、投薬開始から数日後に、視界がいつもより少し白みがかっているような、少し明るいように見えたんです。
3週間くらい経った頃には、視界が曇りガラスのように真っ白になってしまいました。投薬の副反応で白内障になってしまったのです。手術が必要な状態になってしまいました。
手足は不自由で、ほぼ寝たきりのような状態。目も見えにくいため、リハビリもできない。
その頃が身体の状態が最もよくない時期でした。絶望的な気持ちになってしまい、毎日のように泣いたり、まわりの人にあたったりしてしまいした。
リハビリが転機に
目は手術により回復しましたが、手足の症状に改善はありませんでした。
治療として、痛み止めの薬を服用しながら、リハビリの病院に通うようにしました。そうすると、少しずつ身体が動かせるようになってきたんです。
通院リハビリだけではなく、自分でもリハビリをしければいけないと思うようになったので、自宅から自動車で10分くらいのところにある、群馬県が運営している障がい者向けのスポーツ施設に行ってみました。
障がい者用の手すりが備え付けられているプールがあり、身体全体を動かすようなリハビリができるようになっています。
現在の活動について
パラアスリートとして
障がい者向けのスポーツ施設に通うようになって、1年半ほど経った2020年8月頃には杖を使った歩行ができるようになり、上半身の筋力も徐々に戻ってきました。
その施設で砲丸投の記録会に誘ってもらったことがきっかけで、パラスポーツをはじめることになりました。
やってみると楽しくて、そこから練習場所を求めて前橋市の陸上競技協会を紹介してもらい、活動の場を広がっていきましたね。
今、一番力を入れているのが円盤投です。先にはじめたのは砲丸投のなのですが、円盤投の方が記録が伸びていき、2022年には当時の日本記録を更新しました。
ただ、その記録を他の選手に抜かれてしまったのです。それまたを抜き返すことが目標ですね。そして、2026年に、名古屋でアジアパラ競技大会という国際大会が開催されるので、出場したいです。
また、スポーツ庁の育成選手発掘事業、ジャパンライジングスタープロジェクトの選考会に参加しました。これは、オリンピックやパラリンピックで活躍する未来のアスリートを発掘するプロジェクトです。
そこで、パラパワーリフティングの選手として選ばれました。
こちらも円盤投、砲丸投と共に頑張っていきたいです。さらに、ぐんま強化指定パラアスリートにも選出していただきました。
しかし、2023年は怪我もあって思うようにいかなかったです。2024年は競技会などで実績を残していきたいですね。
ファシリテーターとして
「バリアフリーというのはどういう環境整備が必要か」「障がいを持った人とどういう接し方をしたらいいか」などを、みんなで考える研修を行なっている団体に所属しています。
アスリート活動が中心ですので、オフシーズンなどだけの活動にはなってしまうのですが、自治体や企業、小中学校などでファシリテータとして研修を行っています。
同病者へのメッセージ
人生の道半ばで難病に罹ってしまったせいで、いろいろ失うことはあると思います。
私自身もCIDPを発症して、たくさんのものを失いました。でも、全く運動未経験からパラスポーツをはじめて、ここまでやってこれています。
学生時代、運動部でもなかった私が、円盤投で日本記録を出し、パラパワーリフティングの育成選手に選ばれ、県の強化指定パラアスリートに選出されたのです。
私にとって、パラスポーツが転機になりました。まずは「自分は出来ない」と思わずに、出来ることを探すことからはじめてみてください。
本当に本気で頑張れば失ったこと以上のものを得ることもできると思います。
そのことをパラスポーツを通じて表現していきたいです。 -
筋ジスのロールモデル。それがわたし。井出今日我さん|デュシェンヌ型筋ジストロフィー

今回は、デュシェンヌ型筋ジストロフィー(以下:筋ジス)を抱えながらも、講演活動や電動車椅子サッカー選手として活躍なさっている、井出今日我さんを取材しました。
目次
- 自己紹介
- 発症からいままでの経緯
- 筋ジスの学生時代
- 登山への挑戦
- 親亡き後の不安から自立生活に挑戦
- 経済的自立を目指したい
- 筋ジスで見つけた私の夢
自己紹介

長野県上田市で1人暮らしをしている井出今日我(いできょうが)と申します。
私は現在、電動車椅子を利用し生活しています。日常生活を24時間訪問介護サービスで支えてもらいながら、講演活動や電動車椅子サッカー選手として活動しています。
発症からいままでの経緯
私は5歳のころに筋ジスと診断され、小学校6年生のころには車椅子を使う生活となりました。高校生のときに電動車椅子サッカーを始め、福祉を学ぶために大学へ進学後は、社会福祉士の資格取得を目指し、学生生活に励んでいました。
大学卒業後、福祉事務所に就職をしてからは、職場で介助もしてもらいつつ、約半年間、業務にあたっていました。
2018年に長野県の人権教育講師派遣事業の講師となり仲間との講演を行うようになりました。翌年にはNHKバラエティー番組に出演したり、長野県ヘルプマークディレクターに就任したり、現在も活動の場所を広げています。
今は個人事業主として開業、障害×◯◯をテーマにマネタイズへ向けて日々、活動しています。
筋ジスの学生時代
私の体は筋ジスの進行によって、徐々に動かしづらくなっていきます。
友人たちとは身長・体格の差や、歩いたり走ったりする体の機能の差も小学校高学年から顕著になっていきました。そのため、一緒に遊びたいと思っても体が思うように動かず、同級生との違いにもどかしさを感じていました。嫌われる発言をして気を引こうとしたこともあり、喧嘩が増えていった覚えもあります。
このままではいけないと思い、心機一転を決意するのですが、中学校でも同級生たちとの関わり方が分からなくなり、結局馴染むことができませんでした。
私は特別支援学校ではなく地域の学校に通っていたためか、学生生活はいつも人間関係に悩まされていたんです。
体を動かしづらくなり、学校でも居場所を見失っていたなか、私に転機が訪れました。
それが高校での講演会に講師として参加されていた内田さんとの出会いです。
事故により脊髄損傷となった内田さんの講演会で、夢を持つ大切さをお話ししてくださいました。
講演が終わり、私は内田さんに自分の抱えていた悩みについて相談したんです。すると、「君の夢は何?」と聞かれ、当時野球が大好きだった私は「巨人のエース上原投手とキャッチボールがしたいです。」とすぐに答えました。
その後なんと、内田さんが上原投手と私を繋いでくださり、本当に上原投手とキャッチボールをすることができたんです。夢が叶った瞬間でした。
登山への挑戦

上原投手とのキャッチボールをきっかけに内田さんとの交流は続き、「今度は一緒に夢を叶えよう」と、高校2年生のときにあるプロジェクトに誘っていただきました。それが、標高4,000mを超えるブライトホルン登山への挑戦です。
もちろん私は歩けませんし、登山は健常者の方よりも大きな壁がいくつもあり、命がけだと思いました。
ですが、内田さんの想いがこもった提案を断る理由はありませんでした。
アルピニストの野口健さんやロボットスーツHAL(ハル)を開発した教授らが登山チームに参加してくださり、とても心強かったです。
そして2006年、内田さんの想いに共感した方々の協力もあり、ついに登山に挑戦することができたのです。残念ながら、山頂までは到達できなかったものの、雄大な景色を目にしたとき、最高の景色だと感じました。まるで今まで人間関係で上手くいかずに塞ぎ込んでいた私の悩みがちっぽけに感じるくらい、私に感銘を与えてくれました。
親亡き後の不安から自立生活に挑戦

内田さんへの恩返しも含めて、今度は自分が障がい者のために、夢を持つこと・挑戦することの大切さを伝える立場になりたいと考えました。
伝えるためには、暮らしのなかで起こる困難な出来事や福祉に関連する制度を理解する必要があると思い、福祉を学ぶため大学に進学したんです。車椅子を利用していましたが、当時は合理的配慮という言葉もなく、学内での介助は全て自分で頼む必要がありました。
大学では、脳性麻痺の当事者でもある先生から「大学職員は君の介助をするためにいるんじゃない」と、受け身で職員のサポートを受けている私をとがめることもありました。当時は、納得のいくものではなかったように思います。
大学を卒業し福祉事業所に就職してからも先生の言葉は頭に残り続け、「このままの生活で良いのだろうか」という想いが強くなっていきました。
独立を考える
社会人となり仕事や生活をしていくなかで、自分の充実した生活を維持することが難しくなってきたと感じました。自身の介助のことで母親と喧嘩をすることもあったんです。母親に介助を任せるだけではいつか施設に入所せざるを得ないと思い、1人暮らしを決意しました。
それから、1人暮らしに関する情報を集め、1日を通してサービスを受けられる公的保険の適応が必要であると考えたのです。自分の介助をしてくれる人を自分で確保できるように、当事者団体と共に私が公的保険を受けて自立生活を送りたいという意志を行政に伝えました。
そして、25歳になり6年という歳月を費やしましたが、24時間訪問介護サービスなど十分な支援を確保し、念願叶って1人暮らしを始めることができたのです。
経済的自立を目指したい

現在は、個人事業主として講演活動やバリアフリーを推進するための活動や車椅子サッカー選手として、日々活動しています。
1人暮らしを始めて今年で9年が経ちます。私の考える自立生活は経済的な自立もできて、初めて自立生活と呼べると思っています。そのため、私はまだ自立生活のゴールとは考えていません。
経済的自立とは単にお金を稼ぐだけではなく、自分の得意なこと・やりがいを持ちながら収入を得ていくことだと思います。私はこの部分にまだ満足していません。
1人暮らしをする前は、親亡き後の不安などさまざまな不安を抱えながら日々を過ごしていたため、仕事へのモチベーションが低かったんです。仕事も受動的にこなしているだけでした。
今後は私の25年間の筋ジス人生を活かし、新しい仕事を生み出していきたいですね。経済的自立を目指し、活動していきたいと考えています。
筋ジスで見つけた私の夢
筋ジストロフィーは、病気でありながら私を構成する一部でもあります。病気の進行を遅らせたいとは思いますが、治したいとは思っていません。今のままで十分幸せです。
筋ジストロフィーがあったから、繋がりやたくさんの経験に出会いました。
だからこそ、私と同じように障がいを抱える方・サポートをする方々に人生の可能性をもっともっと感じてもらいたいです。そして、内田さんが私にとってのロールモデルだったように、今度は私が誰かにとってのロールモデルになりたいと考えています。
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出来ることだけ続けたら金メダルを取りました。猫本力さん【多発性硬化症】

今回は、29歳で多発性硬化症を発症するも、現在、会社員として働く一方、障がい者スポーツの全国大会で金メダルを獲得するなど、様々な分野で活躍されている猫本力さんを取材させていただきました。
目次
- 自己紹介
- 発症から診断まで
- 現在の活動
- 今後の目標
- 同病者へメッセージ
自己紹介
猫本力と申します。埼玉県在住です。電動車椅子を使用しています。
両手とも不自由ですが、杖を使って10mくらいなら歩けます。
車椅子が入れないトイレなどを利用するときは、車椅子で近くまで行き、少しだけ歩くといった感じです。
東京の職場まで週に4日、電車で乗り換えもして通勤しています。
多発性硬化症の診断を受けてから20年以上になりますね。
病気の影響で眩しいのが苦手なので、普段から医療用のサングラスを使用しています。
発症から診断まで
2001年4月、東京で音楽業界の会社に就職し、忙しい生活をしていました。急にまっすぐに歩けなくなり、視界も歪んでしまい、バイクに乗ってもフラフラでした。
病院に行くと、すぐに検査入院となりました。
はじめは脳梗塞を疑われましたが、原因がわからず、症状は進行していきました。
結局、多発性硬化症の診断が出たのは発症から1年半後。そのときはほぼ寝たきりの状態でしたね。
その後、この病気の権威の先生のもとで治療を開始しました。
現在の活動
障がい者スポーツ
自分で電動車椅子も使用できるようになった頃から様々な活動をしています。今、一番力を入れているのは障がい者スポーツですね。
市役所で紹介され、電動車椅子スラロームと、ビーンバッグ投げをはじめました。
どちらの競技も、2023年の全国障害者スポーツ大会で金メダルを取ることができました。
自分で言うのも何ですが、才能があったのかもしれません。
〜車椅子スラローム〜
車いすを操って、赤と白のピンが置かれたコースを前進、後進させて走り切る「スラローム」。手や腕にも障がいのある重度な車いす選手が参加します。 選手が使用する車いすは、手でこいだり足で地面を蹴って進む通常の車いすと、ジョイスティックを操作して進む電動車いすの2種類があります。〜ビーンバッグ投げ〜
12cm×12cmの布などの袋の中に、よく乾燥した大豆等を入れて150gの重さにします。その袋を、車椅子に乗った状態で投げた距離を競います。手にも障ががある選手が出場します。ループタイ作り
また、最近はループタイを作ることに熱中しています。
私は普通のネクタイを自分では着けられないので、ループタイをしているのですが、売っている物で気に入るデザインがなかなか見つかりません。だったら自分で作ろうと思ったんです。
まずは部品を買おうと、1つ注文したつもりが、100個単位で届いてしまったんですよね。そうなれば、せっかくなので、いろいろなデザインの物を作って、売ってみようかと思っているんです。
自分の名前に因んで猫の足跡のイラストが描かれたものなんかも作っていますよ。
音楽活動
発症前ですが、最初の就職が音楽関係だったこともあり、音楽活動も続けています。
最近では、バリアフリープロレスという団体に所属する聴覚障がいを持つ選手の入場曲をオリジナルで作曲しました。
身体障がい者相談員
月に1日、相談員として福祉センターに行って、障がい当事者やご家族の方などの相談を受けつけています。福祉機器の紹介や、購入方法、制度の案内などをしています。相談員の資格も取りましたよ。
その他にも、自宅マンションの管理組合の役員として管理業務、自治体の身体障がい者福祉会の役員として広報誌作りなど、依頼されたことで自分に出来ることはやるようにしています。
今後の目標
アスリート活動
目標はたくさんあるのですが、まずはアスリートとしての活動ですね。
2028年のロサンゼルスパラリンピックに、こん棒投げと、射撃競技で出場することが目標です。やっぱり1度は出てみたいですね。
音楽活動
音楽に関わる活動は続けていきたいです。電動車椅子ダンスにも挑戦したいと思っています。
今、車椅子ユーザーのダンスとして一般的に広まっているのは社交ダンスのようなものなのですが、そうではなくて、もう少し若者に好まれる、ヒップホップに近いようなダンスを電動車椅子でもできるのではないかと思っています。
自分で作った曲で踊ったりしてみたいですね。
車椅子についての理解を広める活動
あとは、障がい者、老人、若者、子供などは問わず、多くの人に車椅子を使う体験をしてもらう機会を作りたいですね。
手動の車椅子は体験したことがある人が多いと思うのですが、電動を体験したことがある人は少ないと思うんです。電動車椅子を使っている人は、「よく歩道の真ん中を走行していて何だか偉そうだ。」なんて言われることがあるのですが、そうではないんです。真ん中しか、走行できないんです。
体験してもらい、どういう動きが出来るのか、どれくらいの段差なら越えられるのか、どういう時に不便を感じるのか、歩きスマホをしている人が車椅子利用者にとってどれだけ怖くて迷惑か、そういったことを少しでも多くの人に理解を深めてもらいたいですね。
同病者へのメッセージ
多発性硬化症は、症状も様々ですが、それぞれの身体で出来る事があると思います。
自分自身も、発症後はじめは落ち込みましたが、出来ないことは諦めて、その時の自分が出来ることだけを試行錯誤しながらやるようにしました。
身体に障がいのない人たちは、何でも出来ますが、その分、自分が何をしたらいいのか分からなくて、悩んでいる人も多いですよね。
そういう意味では、私たちは身体が完全に自由というわけではないので、悩む必要がありません。出来ないことは諦めて、出来ることをやるしかないですから。
私もほぼ寝たきりの状態になりましたが、出来ることを続けてきました。そうすると、少しずつ動けるようになり、出来ることも増えました。金メダルを取ることもできました。
出来ないことに悩んでも仕方がないので、いい意味で諦めて、自分に出来ることをやっていきましょう!
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一緒に受け止め、挑戦していく。看護師・大山尚美さん【乳がん】

北海道で看護師の経験を活かした保険外サービスを提供している大山尚美さん。自らの乳がんに対する闘病中の想いや、その後の「北海道・小樽を1日楽しむ」ことをテーマに掲げたイベントの経緯や想いを取材しました。
目次
- 自己紹介
- 病気の発症当時について
- 病気になって1番変わったこと。
- 現在の仕事について
- 「小樽市を1日楽しむ」イベントとは?
- イベントを企画した理由
- 大山さんの想い
- 今後の活動や目標
自己紹介
はじめまして、大山尚美です。7年前に乳がんを患いましたが、北海道札幌市で看護師をしています。昨年からは、看護師による保険外サービス事業を行っています。
病気の発症当時について
7年前、テレビなどで乳がんについてよく取り上げられていたため、看護師の同僚と「私達もチェックしなきゃね」と話し、その後自分で胸を触っている時に2cm弱のしこりを発見しました。
知り合いの職員さんは「私も同じようなものあったけれど、なんともなかったよ?」と言っていたので、しばらく様子を見ることに。けれど、時間が経つにつれ、しこりはどんどん大きくなってきました。
まるで、消しゴムみたい。
ちょうど、別件で手術をする予定があったので、検査はそれが終わってからという話になりました。
忘れないために自分の誕生日である3月にマンモグラフィを受けることにしました。自分のなかでは、これが悪いものであるという確信のようなものがあって、案の定、乳がんということがわかりました。治療は乳房の全摘出とリンパを取り、ほかに転移はありませんでした。
5年間、薬を飲むことを提案されましたが副作用に、子宮がん発症・うつ病とあり、子どもたちからもそれは困るねと言われて、何もせずに転移や発病した場合は、受け入れようと話しをしましたね。
病気になって1番変わったこと。
それはできていたことができなくなるということです。
私は利き手の右側を摘出したので、痛みなどの影響もあり、細かな作業ができなくなりました。
ご飯を食べるのでさえ大変で、痩せてしまう!と周りに心配されたこともありました。また、料理が趣味だったのですが、発症後は本当に苦痛になってしまい、今までであれば30分で作り終わっていたところ、3時間もかかってしまうようになりました。
このようなことが度重なり、自分はなぜ生きているんだろうと考えるようになってしまったんですね。
けれども、私には子どもがいるので、「生きなきゃ!」と思ったんです。
だから、できない自分が辛くて、何かできることを探して見つけたのがケアマネージャーの資格の勉強でした。
その後、私はケアマネージャーの資格を取り、今も活かしています。※ケアマネージャー(介護支援専門員):居宅業務と施設などにおける業務に分かれますが、主に介護を必要とする方が介護保険サービスを受けられるように、ケアプランを作成しサービス事業者などと連携して介護者を支援する仕事です。
現在の仕事について
現在は、看護師の保険外サービスの事業をしています。
仕事内容は、介護保険や公的保険ではできないような、受診の同行やお出かけの付き添いなどです。例えば、一人暮らしの方が医療機関の受診に単独で行くには、先生の話の理解が難しいという方もいますね。
また、体力的に自信がないという方に受診の同行の支援も行います。また、がんの末期の患者様が自宅で過ごす際、ご家族さまの代わりに見守ることもあります。
ご家族が見守りをし続けて、「ちょっと夜間も眠れてなくて」と、負担が多い場合には私が代わりに見守り、その間に休んでいただくこともあります。ほかにも、入院中の方が最後に実家に戻って親戚に会いたいとか、法事に出たいという要望があり、一緒に行くなどしています。
「小樽市を1日楽しむ」イベントとは?
看護師の保険外の事業のひとつとして、障がい当事者をサポートする事業があります。
今年の7月13日に北海道の小樽市で医療従事者と障がい者が集まり、「小樽市を1日楽しむ」というテーマを掲げて、イベントを行いました。
現地集合のため、小樽市に来られる方限定となりましたが、車椅子の方が4名・医療従事者が6〜7名が集まってくれました。
浴衣を着たり、小樽の町並みを散策したり。人力車にも乗りましたね。
ほかにはガラス細工が有名なのでとんぼ玉を制作したり、みんなでお酒を交わしたり、とても楽しかったですね。障がいを持たない方であれば、何事も問題なく過ごせる旅行のプランだと思います。
しかし、障がい者の方には難しい場面もあります。
手や足に障がいを抱え、立っていることが難しく1人では浴衣を上手に着ることができません。また、人力車に1人で乗るには、段差を昇らなければ乗車することができず、乗れたとしても、道中の揺れに対して体が転ばないようにバランスをとることも大変です。
ガラス細工では、両手を使う細かな作業も手が動かないと挑戦する勇気も湧いてこないかもしれない。
階段や坂、段差が多い商店街を散策したとしても、お店に入るにも段差を昇らないといけない、散策をするにしても坂を下らないといけないなど、どこかで億劫になることも考えられます。
ですが、これらを現場のスタッフや医療従事者がサポートすることで、普段できないこと・やらないことに挑戦する意欲が掻き立つのではないかと思い、今回のプランを企画しました。
イベントを企画した理由
障がい者の方それぞれに必要なケアが違ったり、ここまでは手伝ってもらいたいけれど、ここからは自分でやりたいという気持ちがあると思います。
医療従事者の方には、病院以外の場所で障がい者との関わりを体感してほしいと思い、企画しました。
障がい者の方には、あえてバリアの多い小樽市を選んで医療従事者の協力を仰ぎつつも楽しんでもらおうと思いました。
そして、「もっとできることがあるんだよ!挑戦して欲しい!」など前向きな気持ちになってほしいという思いも持っています。
今回は、浴衣や、段差や坂のあるお店・商店街、両手を使うお土産作りなど、障がい者にとってはとてもバリアが多い環境となりました。
周りのサポートはありますが、サポートがあれば、障がい者の方でも普通のことができる。
挑戦することで、新しい発見があることを実感していただけたと思います。
今後の活動や目標
イベントに関しては、今回の反省点も踏まえて、医療従事者に関わらず、たくさんの方に参加していただきたいです。
今後はバーベキューなどさまざまな企画を行うことで、最終的にはキャンプを行いたいと思っています。
保険外サービスの事業では、みなさんが自分の人生を納得して終われるように、「今」を笑顔で過ごすことができる方を増やしたいです。大山さんの想い
テレビで障がいの方がインタビューを受けている映像を見たんです。
私はそれまでは、「助けなきゃいけない、できないんだな」と思い、やってあげなきゃと思っていました。
ですが、人それぞれで違う感情があったのです。
その方々はコメントで「何もできないわけではないので、かわいそうと思わないでほしいし、助けなきゃいけない存在と思ってほしくない」とおっしゃる方がいる一方、「私はいつでも困ってます」と手助けを求める方もいました。
本当に人それぞれだなと思い、だからこそ一緒に体験してその方との関わりを持たなければならない、その方のことを考えないとケアができないと思いました。
こうした思いもあり、今後もイベントを継続したいと思っています。
読者へのメッセージ
乳がんというのは、女性にとって大事な大切な臓器でもあり、人生を考える病気なのかなと思います。
外見の変化やそれに伴う喪失感・自己肯定感が低くなることもあると思うんです。乳がんを患っていたとしても前向きに過ごしている方は、いらっしゃると思いますが、今、無理して受け止めなくてもいいと、私は思っています。
なので、まず受け止められない自分を否定せずに、そのときの感情で受け止められないときは誰か頼れる人を見つけたり、自分のことじゃなくても誰かのことで幸せを感じる物を探したり。何とかその方も元気で過ごしていてほしいなと思います。
私も仕事していますが、病気のことなどを受けいれられていないと思うので、一緒に頑張っていきたいですね!
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世の中のために正しいトレーニングを提供したい。山本拓也さん。【クローン病】

北海道・小樽市でスポーツトレーナーとして働く山本拓也さん。
「personal gym Takku」を開業し、パーソナルトレーナーとしても活躍されています。
ご自身の仕事の経験もあり、世の中のためになりたいとトレーナー業に注力しています。
今回は山本さんのお仕事に対する想いや、今後の活動についてお話を伺いました。目次
- 自己紹介
- 発症・病気について
- 現在の仕事について
- 今後の目標
- 同じ病気の方や境遇の方へのメッセージ
自己紹介
山本拓也です。みんなにはたっくと呼ばれています!
スポーツトレーナーとして北海道・小樽市に「personal gym Takku」を開業しパーソナルトレーナーとジムの経営を行っています。発症・病気について
僕はクローン病という、消火管の病気を10年前に発症しました。
大学生の時、腹痛と微熱が1ヶ月ほど続いたため、病院を受診したところクローン病の可能性が疑われ、精査後に確定診断を受けました僕の場合、最初は状態が悪く、寝たきりになるほどお腹が痛くなり、一歩も動けない状態だったんです。
41度の熱があり、意識も朦朧としていたのですが、病院でのベッドの空きがなく入院できませんでした。
そのため、ステロイドを使用し、自宅療養を行い、症状を落ち着かせることになりました。
その際の症状は良くなったのですが、クローン病の治療は必要であったため、免疫抑制剤・レミケードという点滴による治療を行うことになりました。この免疫抑制剤を使用してからは、症状が落ち着き、現在もレミケードを定期的に使用しています。
同じ病気の他の方の話を聞くと、油ものや食べる量が多いと状態が悪くなる方もいるようです。
僕の場合は、幸いなことに現在の日常生活において苦手な食べ物や活動の制限はありません。レミケードによる治療を開始してからは、体調不良も少なくなりました。これは僕の場合なので、症状や薬の効果は個人差があると思います。僕の場合、最初は状態が悪く、寝たきりになるほどお腹が痛くなり、一歩も動けない状態だったんです。
クローン病とは、慢性的に胃や腸などの消火器管に炎症が起きてしまう自己免疫疾患です。たとえば、食べ物を食べてもそれを異物と見なし、自分の体を攻撃してしまい、食べ物を食べるたびに腸が傷ついてしまうような病気です。
暴走した免疫をおさえない限り、腸が傷つくことを繰り返してしまいます。
参考:クローン病 指定難病96現在の仕事について
トレーニングに対する想い
僕が開業をする前は、会社員としてスポーツトレーナーに従事していました。その働いていた事態から感じていたことは、「怪我をしないトレーニングを世の中に広めていきたい」という想いです。
トレーニング中に怪我をしてしまうお客様もいます。これには様々な理由がありますが、トレーナーの指導不足ということもあります。
僕は大学で理学療法について勉強し、大学院でアスレティックトレーナーについて深く勉強しました。だからこそ、根拠のあるちゃんとしたトレーニングを届けたいと考えています。
また、怪我をしないトレーニングが結果につながることも示したいと考え、理学療法士・アスレティックトレーナーの資格を活かして開業を決意しました。僕が運営しているジムでは、「科学的に根拠のあるトレーニングを提供する」ことを大切にしています。
そのうえで、大切にしているポイントは、「実際に自分で実践すること」・「本当に効果がでるトレーニングを提供すること」の2つです。パーソナルトレーナーとして、提供したトレーニングがしっかりとした結果に繋がるよう、
示していければと思い、活動を続けています。理学療法士とは、怪我や病気で身体に障害がある人や障害の発生が予測される人に対して、ひとりひとりに医学的・社会的視点から身体能力や生活環境等を十分に評価し、それぞれの目標に向けて適切なプログラムを作成します。
参考:日本理学療法士協会アスレティックトレーナーとは、公認スポーツ指導者制度にもと基づき、JSPO公認スポーツドクターおよび公認コーチとの緊密な協力のもとに、1)スポーツ活動中の外傷・障害予防、2)コンディショニングやリコンディショニング、3)安全と健康管理、および、4)医療資格者へ引き継ぐまでの救急対応という4つの役割に関する知識と実践する能力を活用し、スポーツをする人の安全と安心を確保したうえで、パフォーマンスの回復や向上を支援する。
参考:JSPO日本スポーツ協会今後の目標
目標はパーソナルトレーナーとしての実力を上げつつ、地域に貢献できるようになりたいと考えています。
僕は小樽が好きなので、この小樽市を盛り上げたいと考えています。
昨年は小樽市制施行100周年であり、たくさんのイベントがありました。
また、今年は小樽運河ができて100周年でイベントが準備されています。
僕は、こういったイベントの実行委員としても参加しており、小樽市を盛り上げるためにも注力しています。僕は、僕のトレーニングを受けに全国から足を運んでくれるようなトレーナーを目指しています。
僕のトレーニングを受けに小樽に来てもらえたら、小樽の活性化につながるのではないかと思っています。
パーソナルトレーナーとしての実力を上げ、全国からお客さんが訪れることで、地域活性化につなげることが今後の目標です。同じ病気の方や境遇の方へのメッセージ
クローン病は筋トレとの相性が悪く、トレーニングを十分に行えたとしても、栄養を十分に吸収することが難しいです。
正直、相当苦労はしましたが、病気を理由に諦めなかった結果、今はやりたいことを継続できています。いまの状態が悪化したら同じことは言えないかもしれませんが、調子が悪くても自分がやりたいことをできる方法があるはずなので、探しながら病気と戦ってほしいです。