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筋ジスのロールモデル。それがわたし。井出今日我さん|デュシェンヌ型筋ジストロフィー

今回は、デュシェンヌ型筋ジストロフィー(以下:筋ジス)を抱えながらも講演活動や電動車椅子サッカー選手として活躍なさっている、井出今日我さんを取材しました。

目次

自己紹介

長野県上田市で1人暮らしをしている井出今日我(いできょうが)と申します。

私は現在、電動車椅子を利用し生活しています。日常生活を24時間訪問介護サービスで支えてもらいながら、講演活動や電動車椅子サッカー選手として活動しています。

発症からいままでの経緯

私は5歳のころに筋ジスと診断され、小学校6年生のころには車椅子を使う生活となりました。高校生のときに電動車椅子サッカーを始め、福祉を学ぶために大学へ進学後は、社会福祉士の資格取得を目指し、学生生活に励んでいました。

大学卒業後、福祉事務所に就職をしてからは、職場で介助もしてもらいつつ、約半年間、業務にあたっていました。

2018年に長野県の人権教育講師派遣事業の講師となり仲間との講演を行うようになりました。翌年にはNHKバラエティー番組に出演したり、長野県ヘルプマークディレクターに就任したり、現在も活動の場所を広げています

今は個人事業主として開業、障害×◯◯をテーマにマネタイズへ向けて日々、活動しています

筋ジスの学生時代

私の体は筋ジスの進行によって、徐々に動かしづらくなっていきます。

友人たちとは身長・体格の差や、歩いたり走ったりする体の機能の差も小学校高学年から顕著になっていきました。そのため、一緒に遊びたいと思っても体が思うように動かず、同級生との違いにもどかしさを感じていました。嫌われる発言をして気を引こうとしたこともあり、喧嘩が増えていった覚えもあります。

このままではいけないと思い、心機一転を決意するのですが、中学校でも同級生たちとの関わり方が分からなくなり、結局馴染むことができませんでした。

私は特別支援学校ではなく地域の学校に通っていたためか、学生生活はいつも人間関係に悩まされていたんです。

体を動かしづらくなり、学校でも居場所を見失っていたなか、私に転機が訪れました。

それが高校での講演会に講師として参加されていた内田さんとの出会いです。

事故により脊髄損傷となった内田さんの講演会で、夢を持つ大切さをお話ししてくださいました。

講演が終わり、私は内田さんに自分の抱えていた悩みについて相談したんです。すると、「君の夢は何?」と聞かれ、当時野球が大好きだった私は「巨人のエース上原投手とキャッチボールがしたいです。」とすぐに答えました。

その後なんと、内田さんが上原投手と私を繋いでくださり、本当に上原投手とキャッチボールをすることができたんです。夢が叶った瞬間でした。

登山への挑戦

上原投手とのキャッチボールをきっかけに内田さんとの交流は続き、「今度は一緒に夢を叶えよう」と、高校2年生のときにあるプロジェクトに誘っていただきました。それが、標高4,000mを超えるブライトホルン登山への挑戦です。

もちろん私は歩けませんし、登山は健常者の方よりも大きな壁がいくつもあり、命がけだと思いました。

ですが、内田さんの想いがこもった提案を断る理由はありませんでした。

アルピニストの野口健さんやロボットスーツHAL(ハル)を開発した教授らが登山チームに参加してくださり、とても心強かったです。

そして2006年、内田さんの想いに共感した方々の協力もあり、ついに登山に挑戦することができたのです。残念ながら、山頂までは到達できなかったものの、雄大な景色を目にしたとき、最高の景色だと感じました。まるで今まで人間関係で上手くいかずに塞ぎ込んでいた私の悩みがちっぽけに感じるくらい、私に感銘を与えてくれました。

親亡き後の不安から自立生活に挑戦

内田さんへの恩返しも含めて、今度は自分が障がい者のために、夢を持つこと・挑戦することの大切さを伝える立場になりたいと考えました。

伝えるためには、暮らしのなかで起こる困難な出来事や福祉に関連する制度を理解する必要があると思い、福祉を学ぶため大学に進学したんです。車椅子を利用していましたが、当時は合理的配慮という言葉もなく、学内での介助は全て自分で頼む必要がありました。

大学では、脳性麻痺の当事者でもある先生から「大学職員は君の介助をするためにいるんじゃない」と、受け身で職員のサポートを受けている私をとがめることもありました。当時は、納得のいくものではなかったように思います。

大学を卒業し福祉事業所に就職してからも先生の言葉は頭に残り続け、「このままの生活で良いのだろうか」という想いが強くなっていきました。

独立を考える

社会人となり仕事や生活をしていくなかで、自分の充実した生活を維持することが難しくなってきたと感じました。自身の介助のことで母親と喧嘩をすることもあったんです。母親に介助を任せるだけではいつか施設に入所せざるを得ないと思い、1人暮らしを決意しました。

それから、1人暮らしに関する情報を集め、1日を通してサービスを受けられる公的保険の適応が必要であると考えたのです。自分の介助をしてくれる人を自分で確保できるように、当事者団体と共に私が公的保険を受けて自立生活を送りたいという意志を行政に伝えました。

そして、25歳になり6年という歳月を費やしましたが、24時間訪問介護サービスなど十分な支援を確保し、念願叶って1人暮らしを始めることができたのです。

経済的自立を目指したい

現在は、個人事業主として講演活動やバリアフリーを推進するための活動や車椅子サッカー選手として、日々活動しています。

1人暮らしを始めて今年で9年が経ちます。私の考える自立生活は経済的な自立もできて、初めて自立生活と呼べると思っています。そのため、私はまだ自立生活のゴールとは考えていません。

経済的自立とは単にお金を稼ぐだけではなく、自分の得意なこと・やりがいを持ちながら収入を得ていくことだと思います。私はこの部分にまだ満足していません。

1人暮らしをする前は、親亡き後の不安などさまざまな不安を抱えながら日々を過ごしていたため、仕事へのモチベーションが低かったんです。仕事も受動的にこなしているだけでした。

今後は私の25年間の筋ジス人生を活かし、新しい仕事を生み出していきたいですね。経済的自立を目指し、活動していきたいと考えています。

筋ジスで見つけた私の夢

筋ジストロフィーは、病気でありながら私を構成する一部でもあります。病気の進行を遅らせたいとは思いますが、治したいとは思っていません。今のままで十分幸せです。

筋ジストロフィーがあったから、繋がりやたくさんの経験に出会いました。

だからこそ、私と同じように障がいを抱える方・サポートをする方々に人生の可能性をもっともっと感じてもらいたいです。そして、内田さんが私にとってのロールモデルだったように、今度は私が誰かにとってのロールモデルになりたいと考えています。

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