高校生の時に原因不明の病気を発症。数年後、希少難病の診断を受ける。回り道をしながら、自分のペースで「私らしい人生」を模索中。現在は、社会福祉学専攻の大学院生。musubiでWebライターの勉強中です!
もくじ
- 自己紹介
- 私が歩んできた道
- 私が目指す社会の姿
- musubiメンバーとしての意気込み
自己紹介
はじめまして、電動車椅子ユーザーのNanamiです。
私は、希少難病の当事者で、1年のうちの3分の1から半分くらいの時間を病院で過ごしながら、大学院生活を送っています。
これまで苦戦してきたことや、今の生活にたどり着くまでの経験、これからの目標についてお話しします。
私が歩んできた道
発病からの道のり
高校生のある日、私は突然、意識を失い倒れました。
突然のことで、今でも覚えています。
その日を境に、手足の痺れや倦怠感、もの忘れなど、次々と症状が現れ、身体が徐々に動かなくなっていきました。
しかし、いくつもの病院を受診しましたが、病名はわかりませんでした。
自分に起こっている異変の正体が分からないまま、数年が経ち、ようやく希少難病の診断に辿り着きました。
診断がついたことで、治療が始まりましたが、病気は少しずつ進行しています。
そのため、これまでにいろんな状態を経験してきました。
(いわゆる)健常者から、未診断状態→目に見えない障害→障害者手帳を取得できない狭間の障害→杖ユーザー→少し歩ける車椅子ユーザー→そして、電動車椅子ユーザーといった具合です。
「社会福祉学」との出会い
この先、どんな経過を辿っていくのかは、誰にも分かりません。
分からないことが不安で、悩んで、葛藤していた時に出会ったもの。
それが 「社会福祉学」でした。
学問と聞くと難しくて固いイメージがあるかもしれませんが、私にとっての社会福祉学は、「生きていくコツを教えてくれる存在」です。
社会福祉学と出会ったことで「私らしく生きるために、いろんな道を探して、その中から自分で選択して進んで良いんだ」と、病気や障害と共に生きる自分の未来を考えられるようになりました。
夢中になるあまり、気がつけば大学院にまで進学していました。
私が目指す社会の姿
2つの経験から見えたこと
私には、「医療や福祉の谷間に落ちてしまうことで、社会からも、自分が直面している生きづらさを理解されなかった経験」と、「障害が重度でも、 治療法が分からない難病でも、周囲のサポートがあれば自分らしく生きることができる」という2つの経験があります。
診断がつかず、福祉の支援の対象にもなれなかった頃は、どこに?誰に?どうやって?相談すれば良いのか、自分の状況をどのように話せば良いのか分からず、毎日、今日を必死に生きていました。
そのような生活の中で「自分らしく生きたい」と思い描くことは、とても難しいことです。
しかし、自分の障害や病状は変わらなくても、必要なサポートを受けられるようになると、日常生活で精一杯だった日々に少し余裕が生まれました。
すると、挑戦したいことが見つかり、人と出会う機会が増えていき、次第に「自分がどのような日々を作っていきたいのか」を考えられるようになっていきました。
カラフルな人生にしたい
この2つの経験から、いつ、誰が病気や障害と共に生きる仲間になっても、その人の人生が病気や障害の1色に染まらず、カラフルな毎日を作り出し、その人らしい物語を紡ぐことができる社会にしたいと思うようになりました。
そのために「病名や障害名に関係なく、誰もが自分らしく生きるために必要なサポートを受けられる社会」に近づけていくことを、目指しています。
その一歩目が、musubiでの情報発信です。
musubiメンバーとしての意気込み
私が、福祉制度や社会の谷間で葛藤しながらも、大学院生まで歩んでくることができたのは、病気や障害と共に生きる先輩・仲間、そして、当事者と一緒に社会をつくってきた様々な分野の支援者との出会いがあったからです。
障害名や病名に縛られずに、たくさんの人と出会い、その方々の物語に触れたことで、自分が進みたい道の探し方や作り方を知り、歩き方を学びました。
病気や障害と共に生きる日々において、誰かの経験を知る機会は、治療や支援と同じくらいに大切なことだと思います。
これからmusubiでの活動を通して、たくさんの方のかけがえのない物語を、musubiを訪れてくださるみなさんにお届けできるように頑張ります。
よろしくお願いいたします!