様々な箇所に痛みが生じる線維筋痛症や心臓病、全身関節リウマチを抱えるも、懸命なリハビリを経て、障害者雇用で環境省に入省。現在は、一般社団法人全日本バリアフリー推進協議会の代表理事である、静ちゃんさんを取材させていただきました。
もくじ
- 自己紹介
- 発症当時の様子
- 現在の活動
- 今後の目標
自己紹介
バリアフリースペシャリスト®︎の静ちゃんと申します。現在は一般社団法人全日本バリアフリー推進協議会の代表理事や、女性のための美容事業にも取り組んでいます。
発症当時の様子
20代後半で電動車椅子ユーザーに
介護士として、障害者施設や特別養護老人ホーム、訪問介護等で働いていました。着実に経験を積んでいたある日、線維筋痛症と診断され、仕事をすることはおろか、歩くこともできなくなり電動車椅子を使うことになりました。
線維筋痛症は身体の痛みを伴いますが、それは自分にしかわからないのです。そのため周囲からの理解が得られず、怠けているなどと言われることもありました。
悔しさからリハビリなどに必死に取り組んだ結果、3年で回復し、もう一度介護の道へ挑戦しました。
2回目の挫折から気づけたもの
動けない毎日を送った反動で、もっと動きたい、もっとチャレンジしたいと思いが強く、介護の仕事へ再挑戦は成功しました。
しかし、しばらくすると痛みが再発し、加えて心臓病も併発してしまいました。
またもや周りへ迷惑をかけてしまったという思いから、とても落ち込みました。今思うともっと周りに頼れば良かったと思います。
そういった周囲の人への想いもあって、現在の起業へと繋がりました。
現在の活動
一般社団法人全日本バリアフリー推進協議会
立ち上げのきっかけは、世の中のバリアに気づいたことです。例えば、車椅子ユーザーや高齢の方にとって、外出先での物理的なバリアは多くあります。
そこでまず取り組んだのが、多目的トイレから「バリアフリートイレ」への名称変更です。嘆願書を出し、精力的に働きかけた結果、実現できました。
いまコロナ禍で、子供たちや女性が暮らしにくい世の中になっていると感じます。私たちは子供から女性、高齢者とすべての人が手を取り合って、暮らせる世の中作りを目指しています。
それこそが本当の意味でのバリアフリーだと考えています。
今後の目標
全ての人が悩みをシェアできるカフェ
昨年97回目の小学校訪問を行いました。
車椅子ユーザーである私は自宅に引きこもっているより、社会へ出て触れ合うことがとても大切だと思っています。
最初は小学校の校門で挨拶を続け、次第に子供たちや先生方とも交流が深まり、学校訪問を実現しました。子供たちが珍しい車椅子に興味津々な様子を受け、改めて交流の重要性を感じています。
今の社会は、核家族化が進み、高齢の方とも触れ合う機会が少ないのが現状です。だからこそ、若い方に高齢者や障害者が身近に感じてもらえる取り組みの一つとして、ふれあいのためのカフェを作りたいと思っています。
子供や女性が人生経験豊かな高齢者へ相談し、高齢者も幸福感を味わえるような場所を作っていきたいと考えています。
障害当事者や医療従事者へメッセージ
介護福祉士から一転して、要介護2になったとき、これまで自分が行ってきた介護観が変わってきました。自分でお風呂に入れなくてデイサービスでお風呂に入れてもらったとき、初めて羞恥心や悔しさを感じました。今まで自分が行わせていただいてきた介護は、利用者に寄り添っていたのか、自問自答しました。
医療福祉従事者の方々には、業務であるという前提で取り組まれるのではなく、その方の人生を垣間見て、心に寄り添ってほしいと思っています。
また、障害当事者は、病気の辛さを伝えることが難しく、孤独を感じることが多いです。
でも、ひとりじゃありません。
もし地域へ出られる環境であれば、どんどん社会と関わってほしいと思います。また相談できる場所を作れるように私自身も取り組んでいきます。
本日はお忙しい中ありがとうございました!
何度も病気を乗り越え、活動されている姿に、とても刺激を受けました。
こちらこそありがとうございました。
今後もバリアフリーな社会を、一緒に目指していければと思います。