健常者との関わりが自立の一歩に。ハマミツさん【脳性麻痺】

セラピストインタビュー

脳性麻痺にて先天性の障害を持ちながら、築地の水産企業で働かれているhamamitsu(ハマミツ)さん。健常者との関わりで変わった生活動作の自立や仕事についての熱い想いを取材させていただきました。

もくじ

  • 自己紹介
  • 発症当時について
  • 前を向けたきっかけ
  • 現在の活動や今後の目標
  • 最後に伝えたいこと

自己紹介

初めまして。本稿をお読み頂きまして、ありがとうございます。 
この記事が皆さまにとっての気づき・考えて頂くきっかけの一助となれば嬉しく思います。

発症当時について

発症した時の状況を教えてください 

かなりの早産で670gという超低出生体重で未熟児として生まれました。それにより、先天性の脳性麻痺となりました。 

ご家族の当時の気持ちや、ご本人として障害を感じたことを教えてください

母親に聞くと「極力明るく、誠実に生活を送れるように」と想っていたそうです。難しい部分や苦労もあったかと思いますが、本当に懸命に育ててくれました。

自分としては2歳違いの弟がおりますので、自分が歩行ができないことや動作ひとつひとつをとっても常日頃から劣等感や障害をすごく感じました。

前を向けたきっかけ

中学校までは支援学校に通っていましたが、高校進学にあたり都立の学校を選択し、そこで家族や親戚以外の健常者との触れ合いが増えたことです。その学校は不登校の方や昔進学されていなかった方などが履修されたりと、生徒の幅が広くさまざまでした。身体障害を持った方も先輩を含めて2名おり、障害への対応も受け入れてくれました。 また高校3年間、母が毎日送り迎えをしてくれたことも後押しになり、ありがたかったです。 

健常者との触れ合いの中で印象に残っていることはありますか

進学した高校で1番仲良くしてくれた友人がコンサートやイベントに連れて行ってくれたことです。そのおかげで移動面の自立ができたと実感しています。 

また高校の環境において、トイレの自立も大きな一歩でした。支援学校では介助員さんが手伝ってくれますが、高校では全て自分でしなければなりません。何度も失敗を繰り返しながら、日々の積み重ねで練習をしました。 

生活動作の自立とともに、学生生活の充実として、事務系の資格取得を目指し、同じクラスの友人と夜遅くまで残ったり毎日勉強に励み、みんなで合格できたことも大きな思い出です。

現在の活動や今後の目標

現在の活動やお仕事について教えてください

築地の水産企業での営業事務職、ロジスティックス職(主に物流を担当し、食品を冷蔵庫から問屋さんへの配送業務)をしており、今年4月で11年になりました。 

23歳のときに障害者の就職サイトからエントリーしたのがきっかけで、当時は東日本大震災による影響もある中、40社受けた中で2社から内定をいただきました。1社は知り合いが働いていましたが、あえて何も知らない新たなところに飛び込んでみようと、現在の水産食品企業で働くことにしました。 

本当に良い雰囲気の中働かせていただいています。障害者は私だけですが、本部部長の方と2,3回は配慮などについてのやりとりをして、タイムカードを切る機械などの位置や特殊なパソコンは使っているかなどを聞いていただきました。その中で通勤時の満員電車を考慮し、フレックス勤務にしていただいたことは大きかったです。 

そのような環境の中で仕事ができ、「社会に貢献できている」という想いが一番強いですね。 

今後の目標は何かありますか

現在の業務を続けつつ、キャリアアップも必要だと思うので、物流やIT系の資格取得を目指し、社内での相乗効果も狙えたらと思います。 

車椅子での転職や就職活動は難しいところがありますが、新たな世界を見てみたいという気持ちもあり、もし現在の会社を辞めたらどのような方向性があるかを眺めたいなと思ったりもしています。 

 そして、障がい当事者がより暮らしやすく、幸せに生活を送れるような社会をともに目指したいです。それを考えるにあたり、社会福祉士の資格や福祉の勉強もしてみたいと考えています。 

最後に伝えたいこと

障がい当事者はとても大変なこともありますが、適切なサポート・支援がなされることで、人の温かみを感じられています。 
介助を当たり前と思わず、「ありがとう!」の気持ちを持って接したいと考えています。

健常者の中で仕事をしたり社会に出ることは大変なこともありますが、温かい支援により私も助けられています。ハマミツさんのように、謙虚で誠実な気持ちを忘れずに心掛けていきたいと思います!拙い取材者でしたが、寛大にご協力くださりありがとうございました。