障害当事者が病院でも働ける環境を作りたい。赤石理人さん【脊髄筋萎縮症】

当事者インタビュー

2歳で脊髄筋萎縮症を発症。9歳で長期療養型の病院に入院・併設する特別支援学校へ転校し、幼い頃から『働く事を目標』に様々な事に挑戦し大学進学・webデザイナー・講演者として活躍している赤石理人さんを取材させて頂きました。

もくじ

  • 自己紹介
  • 自分が脊髄性筋萎縮症とわかった時の心情
  • 働きたいと思った理由
  • 大学進学を決意した理由
  • 現在の活動内容

自己紹介

初めまして!赤石理人です。僕は、脊髄筋萎縮症という10万人に1人の病気共に生きている当事者です。今年の3月に大学を卒業し現在は、web領域(デザイン・ライティング)の仕事をしています。

自分が脊髄筋萎縮症とわかった時の心情

成長が遅れていることに気づき病院に診察

私の病気が発覚したのは、2歳の時でした。家族が2歳になっても歩き始めない事に違和感を感じ遺伝子検査を病院で行いました。その時に遺伝子の異常が見つかり脊髄筋萎縮症と診断されました。

当時の心情・障害で悔しいと思った経験

物心ついた時から車椅子なので、障害が理由で落ち込む事はないです。
健常者の方が空を飛びたいとは思わないのと一緒で自分には、歩くという選択肢がありません。

ただ、友達と飲食店に行った時に店舗が2階でお店に入ることすら出来ない時は、少し落ち込みました。
それ以外は、特にないです。

幼い頃の夢は、一般企業で働くこと

人の役に立つ為に就職したい

小さい頃から体が動かない為、人の助けを行う事があまり出来ませんでした。
その影響もあり、小さい頃から将来は 自分で稼げるようになり周りの人の為にお金を使いたいと思っていました。

今振り返ると人から必要とされる事で自分の存在意義を探していたのかもしれないです。

大学に進学・卒業と同時にフリーランスに

初めての1人暮らし

一人暮らしの経緯は、実を言うと望んでしたわけではないんです。実家がある自治体は介護サービス時間の給付が少なく、通学支援は認めてなかったり条件が厳しかったので、大学近くのアパートで一人暮らしを始めました。

高校2年の時に同じ病気で一人暮らしをされてる方と出会ったのも大きいですね。結果として、両親と少し距離を置いた生活をしたことで仲良くなったり、将来の自立について心配しなくてよくなったりと、いいこと尽くめでした。

将来を考え、就職ではなくフリーランスを選択

自分の今後の人生を考えた時に企業に就職する事がなんとなく違うように感じたのがフリーランスを目指したキッカケです。フリーランスになる事を決意してから、なりたい職業を探しました。その時にプログラミングに興味を持ちweb領域のフリーランスになる事を決意しオンラインスクールに入学しました。

現在の活動・目標

先日開いた講演会

先日行った講演会は、元々今年特別支援学校の卒業式で講演する予定でした。
ただ、コロナの影響で公演が来年に延期になってしまいました。
今回自分に依頼してくれた方が昨年度の卒業生の保護者であった事だったので、講演会を依頼してくれた保護者の方・卒業生の方に自分の今までの経験をお伝えしたいと思い個人で主催致しました。

当日はSNSの告知から参加していただいた方もいて、新たにぼくを知ってもらえたことや、前向きな感想をいただきました。フリーランスになると決めてから応援されることは少なかったので、とても嬉しかったです。また準備をしていく中で、改めて自分の気持ちを整理でき、充実した講演会となりました。

今後の目標・同病者に一言

今後は、フリーランスとしての活動を続けながら、障害当事者の選択を増やす事を目標にたくさんチャレンジしていく予定です!
最終的には、病院でも働けるような環境を作る事を人生の最終目標にしています!

本日は、取材を受けて頂きありがとうございました!

こちらこそ、素敵な機会をありがとうございました。