僕は寝たきりになるけれど、今が一番幸せです。落水洋介さん【原発性側索硬化症】

当事者インタビュー

31歳で原発性側索硬化症を発症。現在マイノリティーの社会を作る事を目標に様々な活動をしている、株式会社PLS代表取締役社長、講演活動を行っている落水洋介さんを取材させて頂きました。

もくじ

  • 自己紹介
  • 病気・発症時について
  • 現在SNSで発信している理由
  • 人生の転機
  • 最後に一言

自己紹介

初めまして!落水洋介です。僕は、原発性側索硬化症という難病と共に生きている当事者です。
現在の活動として講演活動・社会福祉法人広報・株式会社PLS代表取締役をしています。
『僕は寝たきりになるけれど、今が一番幸せです。』

病気・発症時について

原発性側索硬化症について(*以下PLS)

PLS(原発性側索硬化症、Primary Lateral Sclerosis):大脳から脊髄に至る神経に障害が起こり、意識ははっきりありながら、徐々に体の自由が奪われ、最後には寝たきりになる病気です。現在も治療法がない難病です。

発症時の症状・気持ちを教えてください

単純に寝たきりになる病気で、絶望しかありませんでした。同時に今後の収入を稼ぐ方法を考えました。でも寝たきりになるのなら、死んだ方が楽だと思いました。死んだら、保険金が入るから妻と子供の生活を守れると思いました。

異変はどの様なタイミングだったのでしょうか

異変を感じたのは、先輩と行っていた会社から転職した時期でした。発症の原因は、前職の精神的・肉体的ストレスが大きいと思います。

先輩の会社に誘われた時は『この先輩について行けば人生安泰』と思っていました。でも、先輩が病気になってしまい、会社の経営は不安定になり、給料が出ない月もありました。

気が付けば会社・自宅でも自分の居場所がなくなっていました。

『安定した収入』を求め転職をしました。転職直後、身体の異変があり、躓く事が多くなりました。

病院に診察に行ったら、PLSと診断されました。

明るい人生を探し始めた

同病者の方を探し始めた

僕と同じ様な病気の人はどのように生活しているのだろうと疑問に思い、本・映画・SNSでバリバリ活動をしている障害者を探しました。そしたら、本を書きながら働いている方が沢山いました。

実際に1人の方にお会いしにいきました。筋萎縮性側索硬化症(ALS)で寝たきりで人工呼吸器を付けていてコミュニケーションは視線を使用していました。その方は自分で会社を経営し家族・ヘルパーさんと楽しく働いていました。会話の内容は下ネタばかりでめちゃくちゃ楽しそうでした。

その時に『寝たきり』=『不幸』ていうのは自分の固定概念だったということに気づ具事が出来ました。

明る未来いを創ると決めた

この固定概念が崩れた時に寝たきりでも自分の考え・思い・行動次第で明るい未来になる事に気づきました。

『僕は明るい未来を創る。』と決めました。

『幸せになる』と決めてから、病前まで感じることのなかった小さな幸せを感じれる様になりました。

『今が一番幸せ』といつも思う様になりました。

現在のような活動を始めたきっかけ

情報がなかった

発症僕は、わらも掴む思いで自分が使用できる制度・サービスを探しても見つかりませんでした。市役所などのに行っても分からない無理ですと沢山言われました。

情報が見つからなかった時は本当に辛かったです。

自分の経験を話す事で誰かの勇気になったり心の拠り所・何かを踏み出す一歩になる可能性があると思い講演活動を始めました。

情報が集まる環境を作りたい

自分の経験から、現在講演活動以外にシェアオフィス・レンタルスペース・シェアスペースの運営をしています。将来的には、欲しい情報が掴めない経験があり、現在は医療・福祉の情報が集まる基地局を作りたいと思っています。

1人でも僕のように情報を探しているけど見つからない方が、減って欲しいと思っています。

講演活動で得られる事

講演会は、自分が生きている証を残せる可能性があります。僕が喋ることで誰かの勇気になったり、笑顔になったり、元気になったりするので行っています。又、心の拠り所・何かを踏み出す一歩になる事もあります。

将来の未来像を教えてください

マイノリティーの社会にしたい

将来的には、生きづらさを感じている方・笑顔になれない方・暗い未来を考えている方等、みんな笑顔でちょっとでも幸せを感じれる未来を僕は創りたいと思っています。

本日は、お忙しい中取材を受けて頂きありがとうございました。
落水さんのお言葉にはいつも勇気をもらいます。
これからもよろしくお願いします!

こちらこその取材のご依頼ありがとうございました!
また今度ゆっくりお話ししましょう!