人との繋がりが変えていく。田島勇弥さん【脊髄小脳変性症】

脊髄小脳変性症

脊髄小脳変性症を抱えながら料理人として活動している、田島勇弥さん。現在、月2回ほど料理会を開催しています。今後も料理を通して活躍の場を広げていけるよう、さまざまなことに挑戦なさっています。

もくじ

  • 自己紹介
  • 発症当時について
  • 前向きになったきっかけ
  • 料理会について
  • 現在の活動や今後の目標
  • 最後に伝えたいこと

自己紹介

はじめまして、田島勇弥です。

以前は割烹料理亭の料理人として働いていましたが、現在は割烹料理亭を辞め、自分の友人やお世話になっている方々の協力の元、Cookタジマという料理会を開いています。

今後は子ども食堂などにも携わっていきたいと考えています。

発症当時について

発症した時のことを教えてください

最初、違和感を感じたのは高校3年生の頃でした。道路の白線の上をまっすぐ歩けない、ふらつくといったこと感じていました。よく転びやすいなといった記憶もあります。それから数年して、脊髄小脳変性症と診断されました。

当時はどのように感じていましたか?

診断をされた時は、「自分には料理しかないのにどうしよう」「まだ料理がしたいのに」「病気になって何が出来るんだ」と思いました。将来に対しても漠然とした不安がありました。当時は凄く落ち込みましたね。

前向きになったきっかけ

私はCookタジマという料理会の料理長をしています。Cookタジマが発足する前から、小規模で料理会を開いていたんです。その時に料理会に来てくれた方が笑顔になって、「美味しい」「ありがとう」と言われることが前向きになったきっかけのひとつかもしれません。

自分が割烹料理亭で働いていた頃は、お客さんの顔をみる機会が少なかったんです。だから自分には、自分の料理を食べて笑顔になってくれる方がいるというのは衝撃的でした。

「美味しい」「ありがとう」と笑顔になってくれる人達がいるから、今も料理を続けられます。

Cookタジマで料理長を務める田島さん

料理会について

料理会とはどういったものですか?

自分が料理長としてメニューなどを考え、お客さんを呼んで召し上がっていただきます。現在は感染症対策で人数制限を設けていますが、キッチンスタジオなどを借りて、20-30名程度のお客さんが来てくれています。毎回の料理会の様子をInstagramに投稿しているので、ぜひ見て欲しいです。

田島さんが作った料理、とても美味しそうです!

料理会を開催する経緯を教えてください。

Cookタジマは去年の3月から始めました。脊髄小脳変性症になり、割烹料理亭の料理人を辞めてから、料理会を始めています。料理会の開催のきっかけは自分が友人に料理を振舞ったことです。自分の料理を食べた友人から「もっと食べたい!」「みんなにもっと食べてもらいたい!」とメッセージを貰ったんですね。そうしたら、友人や自分に携わっている方々が協力し、本格的な料理会を立ち上げてくれました。

現在の活動や今後の目標

月に2回を目安に料理会を関東で開いています。自分の作った料理を「もっといろいろな人に食べてもらいたい。」「料理会の規模を大きくしたい」といった願望もありますね。後はキッチンカーをやってみたいと考えています!理由のひとつに、キッチンカーで全国を回りSNSで繋がった方と会いたいという思いがあります。

将来は子ども食堂を開きたいと考えています。そのために、まずは手伝いという形で子ども食堂に参加する予定です。いろいろと経験を積んで、いずれは自分で子ども食堂を開きたいと考えています。

最後に伝えたいこと

病気を発症してから「もっとあれをやっておけばよかった。」「ここに行っていればよかった。」と思うことが多くなりました。

それに時間の使い方を考える機会が多くなります。自分の将来のこととかも考えますね。仕事をしていた頃は「今は仕事!」とこなしていくことに必死でした。それまでは仕事のこと以外は、あまり考えていなかったです。自分には料理しかないと思っていたので。

病気になったからこそ、自分の将来についてや時間の使い方などの価値観を考えるようになりました。病気になって良かったと思うことのひとつかもしれません。

自分は友人や親交の深い人達との縁があって、料理会を開くことが出来ています。人との繋がりで自分の可能性を広げられると思っています!

人との繋がりが自分の可能性を広げる。自分だけで何かをしようとすると難しいことがあるかもしれませんが、誰かと一緒なら成し遂げられる、そして自分の可能性を広げる一歩になること、今回の取材を通して改めて人と繋がることの大切さを教えて貰いました。
この度はありがとうございました!