お互いを受け入れ合うことが当たり前の世の中を作る 言語聴覚士 AHYAKOさん【脳性麻痺】

言語聴覚士

脳性麻痺によって先天性の運動機能障害がありながらも、成長と共に障害を受容し、言語聴覚士を目指したAHYAKOさん。その後海外留学などのさまざまなことを経験し言語聴覚士を取得。現在は高齢者施設で言語聴覚士として活動されています。

もくじ

  • 自己紹介
  • 発症当時について
  • 前向きになったきっかけ
  • 言語聴覚士を目指した理由
  • 現在の目標・活動
  • 最後に伝えたいこと

自己紹介

シンガポール旅行での一枚

初めまして!AHYAKO(アヤコ)です。

私は出生時に産声を上げず低酸素状態で産まれました。生後半年ほど経っても、お座りができないことに母が疑問に思い、複数の病院に行きました。その時に脳性麻痺と診断されました。

その後、いろいろなことを経験し言語聴覚士免許を取得しました。現在は言語聴覚士(ST)として高齢者施設に勤務しています。

言語聴覚士としての業務以外の活動も、昨年より活発に行なっています。

さまざまな特性を持つ一人一人がお互いを受け入れ合うことが当たり前の世の中を作る」

この目標を達成するために、現在さまざまな活動に参加しています。

発症当時について

出生時に低酸素状態になった可能性がありましたが、通常と同じように退院し育児が始まりました。半年が過ぎた頃、座らせても転けてしまうことや四つ這いができないことから病院を受診しました。初めは成長が遅いだけと言われ、その後いくつかの病院を訪ねた後、脳性麻痺と診断されました。

現在も脳性麻痺による、先天性の運動機能障害があります。痙直型の両麻痺で、上肢障害が4級、下肢等移動障害が2級です。自宅内は独歩やつたい歩き、それ以外は主に電動・手動車椅子、たまにロフストランドクラッチ(杖)を使って移動しています。

当時の不安

当時の様子を母親に聞いたことがあります。「脳性麻痺」と聞いた時、寝たきりなどで自分の意思で動けないイメージが沸き、正直ガーンとショックを受けました。周りに脳性麻痺などの障害を持っている知り合いはおらず、ほとんど分からないところからのスタートでした。

病院の先生にリハビリが必要と言われ、とにかく早く始めて治さないとという気持ちでさまざまな方法を調べました。私自身としては、物心ついた頃にはリハビリが始まっていて、なぜするのかもわからず、痛いこともされて嫌で逃げようとしたこともありましたね。

周り(健常者)との違いを感じたのは地域の保育所の年長からです。そこから小・中・高校と養護学級に籍を置きながら、ほとんどの時間を通常学級で過ごしました。なんで自分だけ転けるのか・上手く動けないのかと葛藤し、周りより負い目を感じて控え目に過ごすようになっていきました。

子供ながらに残酷な言葉をかけられることもありましたが、ありのままの自分自身を受け入れてくれる友達もでき、少しずつ成長していくことが出来たんだと思います。

前向きになったきっかけ

前向きになったきっかけは各成長期ごとにあった気がします。

それを重ねてやっと障害受容ができてきたと感じたのは高校生の頃です。 成長と共に障害受容をし、現在も向き合っている段階というのが近いかと思います。

私の通った高校ではそれぞれの個性を尊重することを理念に掲げていました。入学して直ぐにそれぞれのコンプレックスなどを話す機会が設けられ、お互いのありのままを受け入れる空気感が作られていました。周りと違うことや障害のある自分をポジティブに捉える一歩に繋がったと思います。

そんな高校時代の夏季休暇中に単身でカナダへ語学留学をしました。慣れない土地で迷子になったり、車椅子が壊れたり……トラブルもありました。その留学の際に周りを頼りながら壁を乗り越えた経験から、なんとかできるものだと自信がつきました。

その後、専門学校へ入学し言語聴覚士の国家資格を取得。卒業後、現在も勤務している高齢者施設で就職しました。仕事をするうえで障害による難しさもあります。ですが、利用者様の笑顔を見ると「少しでも役に立てたかな」という気持ちや喜びが溢れ、日々前を向かせていただいています!

言語聴覚士を目指した理由

幼少期から理学療法士(PT)のリハビリを受けていました。その中で心身ともに自分と向き合ってもらい、今の生活の基盤を作り、私の生活を支えてくれる存在でした。

本格的に進路を考えた高校生の頃、言語聴覚士の専門学校に体験入学をしたことがきっかけです。その際にいろいろなお話をし、元々理学療法士に憧れていたことも伝えました。講師の先生からは「言語聴覚士はそんなに甘くない。」ときっぱり言われました。多分、車いすで言語聴覚士として働くことを気にかけてのことだったんだと思います。

その時に「そんな甘い考えではなく、本気でなりたい!」と自分自身の想いに気づき、言語聴覚士を目指すことを決めました。

現在の目標・活動

言語聴覚士として高齢者施設で働いて5年。ひとつの区切りもあり、新しい職場に移ることにしました。今年の春からは児童発達支援の現場で働く予定です。新境地で不安もたくさんありますが、当事者として子供時代を過ごした経験も活かし、お子様やご家族様の心に寄り添える支援をしていきたいです。

また昨年からはSNSを通じて、当事者やその関わりのある方との繋がりができ、本業以外で障害や経験を活かす活動もいいなと考えるようになりました。バリアフリー認証を推進する一般社団法人Ayumiのサポートメンバーや、2022年5月27日に開催予定のインクルーシブパレードに参加予定です。

そのような繋がりを大事にして、「さまざまな特性を持つ一人一人がお互いを受け入れ合うことが当たり前の世の中」を目指して、勉強していきたいです。

最後に伝えたいこと!

私が当事者として言語聴覚士を志した時、ネット上などで同じような境遇の人を見つけて情報に触れられたらどんなに良いかと思っていました。入学後は環境にも恵まれ、当事者言語聴覚士の先生に教えていただく機会もあり、現在の働き方にも影響を与えてくれています。

社会参加をすることに障害があるとさらに難しい世の中かもしれません。ですが、情報があることで可能性を見出せたり助けになったり、その恩恵は大きいです!

そんな情報を集めるメディアparkに感動し、期待を寄せつつ、また協力できるように精進してまいります。

「さまざまな特性を持つ一人一人がお互いを受け入れ合うことが当たり前の世の中」
一見難しそうですが一人一人がこのようなメディアに触れることも一歩に繋がると思います。私自身もparkなどを通じて勉強していきます。この度はありがとうございました!

「さまざまな特性を持つ一人一人がお互いを受け入れ合うことが当たり前の世の中」

当事者であるAHYAKOさんだからこそ、輝く言葉だなと感じました。私たちもそのような社会に近づけるようにこのメディアを通じて、貢献出来たら良いなと考えています。

この度は取材を受けて下さり、ありがとうございました!