「車いすでもなんとかなる!」と物事を前向きに考え、さまざまなことに挑戦されている橋本さん。現在はパラスポーツを楽しみ、普及活動も行っているそうです。
もくじ
- 自己紹介
- 発症当時について
- 前向きになったきっかけ
- 退院から社会参加まで
- 現在の活動
- 最後に伝えたいこと
自己紹介

こんにちは、橋本宜史(はしもと たかふみ)です!
私は脊髄海綿状血肝腫という病気により、両足が動かず現在も車いすで生活しています。
「車いすでもなんとかなる!」
やりたいことに挑戦し、現在はパラバドミントンやチェアスキーなどのスポーツを楽しんでいます!
発症当時について
自分の誕生日前日、背中に痛みを感じました。そして誕生日当日、朝起きると感覚はあるのに、足が動かなかったんです。その日に救急車で搬送。そしてまた次の日、今度はヘソから下の感覚が無くなりました。
診察の結果、脊髄海綿状血肝腫(脊髄にできる血管腫のこと)と診断されました。
私の場合は、脊髄の中の弱い血管が出血し脊髄が圧迫されていた状態で両方の足が動かなくなり、車いすの生活になりました。
当時はどのように感じていたか?
医者からは手術をして出血した血を取り除いたら、少しは良くなるかもと言われ手術をしました。しかし結果は全く変わらず。この時がいちばんショックでへこみましたね。
それになぜ自分が?と悔しい気持ちと、親に申し訳ない気持ちになりました。それに、将来への不安も多少感じていましたね。
ですが、私自身の性格が「もともと何とかなっぺ!」というタイプの人間だったせいか、大きな不安はなかったんです。
前向きになったきっかけ
入院中に家族や親戚、たくさんの友人が私の見舞いに来てくれました。その人達にまた元気な姿を見せたい!という思いも前向きになれた原動力のひとつです。
入院中に看護師さんやリハビリテーションを行ってくれたセラピストさん達にも良くしてもらったことも、前向きになれた理由だと思います。
医療職種の方がしてくれた嬉しかった対応を教えてください!
どんな言葉をかけられたか覚えてないです(苦笑)
ただ、自分の事を昔からの友人のように接してくれた時、一生懸命対応してくれているのが伝わってきた時はとても嬉しかったことを覚えています。それと同時にやる気が出てきました。
退院から社会参加
きっかけは、初めて車いすを作ってもらった車いす屋さんからの紹介です。
退院して1ヶ月後にはハンドバイクを始めました。その後障害者スポーツの導入教室を始め、冬にはチェアスキーを体験して、いろいろな所に連れていってもらいました。スポーツを通じて友人がだんだんと増えていき気がづけば、さまざまな団体に所属してました。(笑)
同時に子供達と接することが多くなりました。活動が増えていき、障害者スポーツ指導員の資格も資格しました。
社会活動に参加して感じたことを教えてください!
単純ですが、子供達の楽しそうな笑顔が見れた時がとても嬉しいです!
現在の活動
現在はハンドバイク・パラバドミントン・チェアスキーをやっていて、レベルアップしていくことが目標です。またそれらのスポーツの普及活動を行っていて、体験会などを主催しています。

なぜ体験会等を開いているんですか?
ハンドバイクやチェアスキーの認知拡大を目的としていることが主な理由です。
もう1つの理由として、障害を持った子供達はさまざまな経験をすることが少ないかもしれません。私が知っている楽しいスポーツ等をその子供他達にも体験して欲しいと思っているからです。
最後に伝えたいこと!
車いすでもなんとかなることが多いと思います。
やりたいこと・やってみたいことをやってみましょう!
もちろん一人で出来ないことも多いですが、家族や友人、近くの人に声をかけると助けてくれます。世の中優しい人が多いですよ!
橋本さん!今回は取材を受けて頂きありがとうございました!
今でも一緒に過ごした入院生活は鮮明に覚えています、めちゃくちゃ楽しかったです^-^
お互い障害は違いますが、これからも”楽しい・やれる”を大切にしながら活動していきましょう!
この度はありがとうございました!