「聴覚」という言葉に惹かれた。言語聴覚士 後藤 愛美さん【感音音声難聴】

聴覚障害

もくじ

  • 自己紹介
  • 発症当時について
  • 障害に対する不安・思い出
  • 言語聴覚士を目指したキッカケ
  • 最後に伝えたいこと

自己紹介

park 松川と当事者セラピスト愛美さんの卒業式時写真

初めまして、後藤愛美です!私は生まれつき片耳が聴こえない難聴持ちの当事者です!

現在は大学病院で聴覚障害を専門に言語聴覚士として働いています。

病気や発症当時のことを教えてください。

私は先天性の左一側聾と診断されました。精査はしましたが、原因は不明といわれました。

聞こえなくなったエピソードは特になく、先天性と考えるのが自然でした、当時の私は、「耳は片方しか聞こえないものだ」とずっと思っていました。

難聴とわかったのはいつ頃ですか?

耳の精査をすることになったきっかけは小学校の聴力検査でした。当時の私は、左耳が聞こえないことは自覚していました。それに加えて、私は耳が両方聞こえるということを知らなかった。どちらか片方の耳だけが聞こえていると思っていたんです。右耳の検査の後「私は右です」と言いました。

検査を終えようとした時の先生の困惑した表情と、検査の順番を控えているクラスメイトのざわつきは覚えています。

片耳が聴こえないと分かった時に不安を抱きましたか?

難聴と診断されても治療がないと言われても不安になった記憶はありません。集団生活や学習するうえで不便であると言われてもピンときませんでした。何故なら、聞こえないのは当たり前のことだったから。ただ、大学病院に短期間に何度も通い検査をしたり、診察で毎回泣いている母を見て、ただごとではないとは感じていました。

障害の関係で落ち込むことはありましたか?

学生時代にクラスメイトに障害者と言われた事が切っかけで落ち込みました。年頃だったので結構落ち込みましたね。後日友人が、「必ず右側に立つからね」とあっさり私を受け入れてくれた友人の存在が私を前向きにしてくれました。

聴覚障害でよかったと思ったエピソードを教えてください!

自分にとって都合が悪いことが聞こえずに済んでいることかな?後は知らないところで難聴への配慮をしてもらっていたことに気づいた時です。

言語聴覚士を目指した理由

単純に「聴覚」いう言葉に惹かれました。

仕事内容や別名「コミュニケーションセラピスト」にも魅力を感じました。前職でスポーツインストラクターをしていたとき、目標が徐々に達成されていく人の性格がポジティブになっていく変化や過程に興味を持ち、セラピストに通じるものを感じたことも理由のひとつです。

聴覚障害者の社会参加はどう思いますか?

聴覚障害は障害の程度、原因や発症までの経緯、コミュニケーションツールが全く違います。そのために社会参加もさまざまです。例えばの場合を提示してもらう方が答えやすいかも。

見た目に見えない障害のため、自分から発信しない限り気づいてもらうことは難しいです。また勘違いされることもあります。実際に働き始めてから、聴覚障害であることを周囲に言わない人もいます。

最後に伝えたいこと

私の場合、どんなに頑張っても限界があることや他人とのハンディキャップに気づいたのは、社会人になってからでした。挫折と受容を繰り返して今日まで過ごしています。

「もし障害がなかったら」、というイメージができないので、自分のことを知るためにも自分の障害を調べてみてほしい。私は聴覚障害や両耳が聞こえることの効果を知ったことで漠然としていた生きにくさが解決したような気がしました。障害があることは決して悪いことではない

人と違うところがあるのは尊重されるべきこと。また、人と違うことを障害というのなら、誰でも身体と心に障害を持っていると思うと私は考えています。

今日は取材に受けて頂きありがとうございました!専門学生時代に愛美さんが一側性の聴覚障害があると聴いた時は驚きました👀
でも自分の思い出の中では、いつも楽しく笑っていた思い出しかないです!

いつも笑っていられたのは周りの方々に恵まれていたからだと思います

こちらこそ、聴覚障害について発信する機会をいただきありがとうございました!